2021-01-01から1年間の記事一覧
今日は年末礼拝です。マタイによる福音書も最後の箇所まできました。尤もこの箇所は今日と1月9日の二回みますので、最終回は9日です。今日は特に、17節最後の「疑う者もいた」ということに焦点を当てます。16・17節です。 まず場所です。ルカは、彼…
クリスマス、おめでとうございます! 今日はマタイの講解説教をお休みして、聖書日課のクリスマスの聖書箇所です。最初の7節は、ローマの信徒への手紙10章に引用されていますので、聞いたことがあるという方も多いでしょう。まず7節です。イザヤ書は、一…
前回は復活の話でした。復活そのものの描写はなく、復活した後の顕現の出来事です。それに対して、前々回の箇所(27章の最後)と今日の箇所は、マタイ独自記事です。主イエスは復活なさったのではなくて、弟子たちが遺体を盗みだして、復活したなどと嘘を…
前回はお墓を見張る話でした。宗教的指導者たちは、見事に主イエスを亡き者にしました。けれども、それでも不安・恐れを払拭することができません。更に手を打って、そのせいで主イエスの復活の消極的な証人となります。今日の箇所は、(今日はイースターで…
前回は主イエスの葬りの場面でした。前回と今日の箇所は、十字架という劇的な場面と復活という決定的な場面の間の小休止のような箇所です。正直、前回以上にこの箇所からいかにして御言葉を取り次ぐことができるのか、困りました(自分で聖書箇所を決めてお…
前回は主イエスの死の場面でした。今日はその葬りの場面です。57節です。アリマタヤのヨセフが主イエスの弟子であったのかどうかはよく分かりません。まず、弟子とは何かということがまだはっきりしていない時代ですから、他の福音書にあるような、「神の国…
https://www.dropbox.com/s/?dl=0 前回は十字架の上の主イエスを人々がどれほど深く激しく侮辱したかをみました。今日の箇所で、主イエスは十字架の上で息を引き取ります。まずその場面をみましょう。50~52節です。次の53節は主イエスの復活の後のこ…
前回、総督の兵士たちが、主イエスを侮辱しました。そして主イエスを十字架につけるために引いて行きます。最初に登場するのは、シモンという名のキレネ人です。32節です。この人物はマルコでは二人の男性の父親だと紹介されているので、この後、主イエス…
前回、主イエスは、ピラトによって死刑の判決をくだされました。今日の聖書箇所は、その直後、総督の兵士たちがしたことです。それは典型的な侮辱の様子であり、いくつもの平行例が報告されています。 27節です。部隊の全員というのがどの位の人数になるの…
今日の聖書箇所は、前回の続きで、ピラトから死刑の判決を受けます。ポイントは幾つもありまして、例えばピラトの妻が見た夢(19節)や、祭司長たちや長老たち(の妬み)、また、バラバのこと。更に大きなこととして、正義を行うべき立場にあるピラトが死…
https://www.dropbox.com/s/?dl=0 今日の聖書箇所は、内容的に申しますと次回と一つです。しかし今回は、主イエスが黙っておられたことと、「十字架につけろ」と叫んだ群衆のそれぞれに焦点を当てたいと思い、二回に分けました。今日は前半の主イエスが黙っ…
今日からまた、マタイの講解説教に戻ります。前回は、ペトロが三度主イエスを知らないといいました。主イエスの予告した通りです。そして中庭の外に出て激しく泣きました。それに対して、今日の箇所では、ユダが首をつって死にます。文脈上大切なのは、ユダ…
今日は世界聖餐日です。そこでマタイの講解説教を休んで、コリントから聴きます。聖書に親しみ祈る会では、既にこの箇所を終り、いわゆる「愛の讃歌」も読んで、「預言と異言」に入る所です。 なぜこの聖書箇所かと申しますと、この箇所が、聖餐について書か…
前回は、主イエスの裁判で実は何が起きていたのか、その意味をみました。ちょうどその同じときに、大祭司の中庭では何が起きていたのか、今日の聖書箇所からみます。主イエスが仰った(34節)通り、ぺトロは三度主イエスのことを知らないと言います。マタ…
前回主イエスが逮捕されて、弟子たちは逃げ出しました。主イエスの裁判は、本来ありえない大祭司の屋敷で行われます。57・58節です。この頃、そもそも大祭司が誰であったか、議論のある所ですが、大祭司を輩出する一族という意味で表現されているのでし…
ゲツセマネの祈りの最後に主イエスは仰います。「立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」。確かに、主イエスの言葉の途中で、ユダが大勢の群衆と共にやってきます。47節です。ここでもユダが「十二人の一人」と書かれています。ユダは前もって決め…
今日はいよいよゲツセマネの祈りです。前回、オリーブ山へ行く途中、主イエスはぺトロを中心に弟子たちがつまずくことを予告なさいました。そして次回、裏切られ逮捕されるのですが、その前に主イエスは実に真剣な祈りをなさいます。それがこのゲツセマネの…
前回、過越の食事が終りました。そこで主イエスは、弟子たちと共に讃美の歌を歌ってから、オリーブ山へ向かいます。ゲツセマネへ行くのでしょう。そのとき、弟子たちのつまずきを予告なさいます。31節です。「今夜」ですから、本当に間近なことを予告なさ…
今日の聖書箇所がはじまる時点で、既に過越の食事ははじまっています。過越の食事の中で、主イエスは、主の晩餐・聖餐の制定をなさいました。私達は、聖餐の制定が、全く文脈のない無機質な提議のようにしてなされたのではないことに注目しましょう。しかも…
前回は、主イエス殺害の計画とベタニアでの香油注ぎの箇所でした。分からないなりに主イエスを愛して行動するときに、主イエスは喜んでくださいます。 今日の箇所は、その続きです。前半がユダの裏切りの企てです。香油を注いだ女とは対照的に、裏切る(引き…
前回で、3章に及ぶ最後の説教が終りました。今日の箇所から、一直線に十字架へ向かいます。その最初にあるのが、今日の記事です。この箇所は二つの部分からなります。前半では、権力者たちが主イエスを殺す計画を建てています立てています。後半では、対照…
今日は日本基督教団では、平和聖日です。今日は、マタイの講解説教をお休みして、聖書日課です。今日の聖書箇所は、サウロ(後のパウロ)の回心の記事と同じ章です。尤もパウロは回心の後で、ダマスコ伝道をしています。ここに「かなりの日数がたって」(2…
山上の説教に対応するようにして、この最後の説教、23~25章が語られてきました。今日の箇所で、それも終ります。次の26章から、いよいよ十字架へ向けての最後の歩みがはじまります。 この最後の説教では、最後の審判、主イエスの再臨の時が描かれてい…
再臨・終末へ向けての三つの例えの、今日は三番目、最後です。一つ目が、「まだまだ来ない」と思い込んで犯す過ちを、二つ目が、「すぐに来る」と思い込んで犯す過ちを、諭していました。今日の例えは、文脈は離れて記憶されていることが多い例えです。実際…
前回から、再臨・終末へ向けての三つの例えに入りました。前回はその一つ目で、忠実で賢い僕の話でした。悪い僕は、まだまだ主人は帰って来ないと思い込んで、悪事を行います。そして裁かれます。 今日の例えでは、全く逆の事が起こっています。まず1節です…
前回から、「突然に」終末・再臨が来るのだという文脈です。しかもそれは、誰にでも分かる仕方で(27・28節)来ます。更にその時は、父なる神のみがご存じで、子なる神、イエス・キリストでさえ知りません(36節)。ノアの洪水の時のように(37節~…
前回、主が来られる予兆・終末の予兆について、まるで真逆の二つのことが語られているということを申し上げました。一つは前回のいちじくの木の教えです。予兆はあるのだから、きちんと見極めなさい、ということでした。いま一つは、「突然に」です。今回と…
前回は、人の子、主イエスが、誰にでも分かるような仕方で(稲妻やはげ鷹)来るのだという箇所でした。その予兆として、今まで描かれてきた終末以前の出来事が起こります。それを明確に語るのが、いちじくの木の例えです。32・33節です。 主が来られる予…
前回は、飢饉や戦争、地震などが起こるが、それは終末ではない。様々なことが起こった後で、終末が来る。最後に、「それから、終わりが来る(14節)」とありますように、まだ終りではなくて、「産みの苦しみの始まり」(8節)です。終わりよりも前の大切…
5章から7章の山上の説教に対応して、23章から25章には最後の説教です。山上の祝福に対応して、23章では、「不幸だ」と語られていました。今日の箇所は、主イエスの28節の言葉に対する弟子たちの反応からはじまっています。28節の「家」は単数形…