これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年10月31日「ユダヤ人の王、万歳」(マタイによる福音書27章27~31節)

 前回、主イエスは、ピラトによって死刑の判決をくだされました。今日の聖書箇所は、その直後、総督の兵士たちがしたことです。それは典型的な侮辱の様子であり、いくつもの平行例が報告されています。
 27節です。部隊の全員というのがどの位の人数になるのか分かりません。しかし、一部の兵隊がということではなくて、全員です。こうして主イエスの周りに集まって何をするのでしょうか。28・29節です。赤い外套、茨の冠、葦の棒、です。ここに、王のためのしるしが描き出されています。尤も外套は、王が羽織る高貴な紫色ではなくて赤い外套です。これは一般の兵士でも着ることのできる安価なものです。昔は、紫色は出すのが難しくて高貴な色でした。それにたいして赤は簡単に染めることができます。次に冠もまた、宝石をちりばめた高価なものではなくて、茨です。私達が簡単に想像できるように、かぶれば痛いのです。第三に葦の棒です(マルコにはありませんが、マタイは必要だと感じたのでしょう)。これは王の勺のように立派なものではなくて、その辺に生えているようなものです。
 実際にどのように侮辱したのでしょう。29・30節です。大変な侮辱です。しかし私達は、この兵士たちの侮辱の行為の中に、事柄の本質を見つけるのではないでしょうか。主イエスは、ユダヤ人の王であって、それゆえに、全ての者の王です。私達は、兵士たちがふざけてからかって主イエスの前にひざまずくことを真剣な信仰をもって行います。主イエスは既に鞭打たれて(前回、26節)満身創痍でした。それに追い打ちをかけるようにして、頭をたたき続けます。そして最後、31節です。
 それは、何のため・誰のためであったのでしょうか。それは、「私(の罪)のためであった」と告白できるとき、私達は主イエスの苦難と十字架がもたらす赦しを受け入れて、神の国の先触れを生きます。