これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年10月17日「何も答えない」(マタイによる福音書27章11~14節)

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 今日の聖書箇所は、内容的に申しますと次回と一つです。しかし今回は、主イエスが黙っておられたことと、「十字架につけろ」と叫んだ群衆のそれぞれに焦点を当てたいと思い、二回に分けました。今日は前半の主イエスが黙っておられた箇所です。
 この箇所で主イエスの言葉は一つだけです。11節です。この箇所の「それは、あなたが言っていることです」は、前に出てきたときに申し上げましたように、消極的な肯定です。だからもっと積極的に「その通りだ」と翻訳している方もいます。「ユダヤ人の王」が直ちに反逆罪になるのではありません。なぜなら直ちにそれが政治的な意味だとは限らないからです。 
 その後も主イエスはひたすら黙っておられました。12~14節です。総督が遂には非常に不思議に思うほどです。「ユダヤ人の王なのか」という問いに対しては、大祭司の「お前は神の子、メシアなのか」という問い(26章63節)のときと同様に、神の子として、真実を答えるしかありませんでした。しかしそれ以外は、祭司長たちや長老たちが何を訴えようと、黙っています。
 神の意志を主イエスがご存じだからです。もしも主イエスが完璧な反論をして、無罪となれば、十字架によって私達全ての者の罪を赦す神の計画がうまくいかなくなります。諺として、「雄弁は銀、沈黙は金」というのがあります。しかし主イエスは、この諺を行ったのではなくて、ただ神の意志に従順であられました。そしてそれは、主イエスが、主イエスを訴える者たちとは、全く別の次元におられたことを意味しています。
 私達もこの世界を生きつつ、この世界で神を知らないで生きる人々とは違う次元を生きましょう。そのような生き方こそ、キリストを信じて生きることの価値を人々に示すことになるのですから。