これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017-01-01から1年間の記事一覧

2017年12月31日「主の杯を飲む」(マルコによる福音書10章35~45節)

今日だけ講解説教に戻ります。結婚(離婚)、子ども、金持ちであること、三つのことについて語った後、主イエスは先頭に立ってエルサレムへと進んで行かれます。三度目の受難予告に、主イエスの覚悟、自分が殺される覚悟が読み取れます。そこへゼベダイの子…

2017年12月24日「私の心は喜ぶ」(サムエル記上2章1~10節)

クリスマスおめでとうございます。今日も前回同様、講解説教をお休みして、クリスマスに比較的よく読まれる聖書箇所です。「ハンナの祈り」という表題がついていますが、これは、ハンナの讃歌であり、ルカによる福音書のマリアの讃歌のもとになった讃歌であ…

2017年12月17日「神の言葉はとこしえに」イザヤ書40章1~11節

今日はアドベント最後の礼拝ですので、講解説教をお休みして、アドベントに比較的よく読まれる聖書箇所です。第二イザヤの最初です。バビロン捕囚の辛い厳しい現実の中にいる人々に対して、慰めが語られます。1~5節は、素直に慰めと励ましの言葉です。そ…

2017年12月10日「従う者への報い」(マルコによる福音書10章23-34節②)

前回も同じ聖書箇所で、「神は何でもできる」に集中しました。金持ちには、永遠の命・神の国は難しいけれども、「神は何でもできる」ことに希望があります。この主イエスと弟子たちとの対話の直後に、弟子たちを代表してペトロが言い出します。28節。悲し…

2017年12月3日「神は何でもできる」(マルコによる福音書10章23~34節)

前々回、前回と二回、直前の「金持ちの青年」の箇所でした。彼は寂しく去っていきました。その後主イエスは弟子たちに語ります。23節。これは当時の常識とは異なる言葉でした。だから弟子たちは驚き、主イエスは更に言葉を続けます。24・25節。「らく…

2017年11月26日「本当にすべきこと」マルコによる福音書10章17~22節

今日は前回と同じ聖書箇所です。前回のお話で、永遠の命を受け継ぐ(神の国に入る)ためには「何をすればよいのか」という問い自体が間違っていることを語りました。子どもたちは何の功しなく、神の国に相応しい。では私達もまた何もしなくてよいのでしょう…

2017年11月19日「何をすればよいのか」マルコによる福音書10章17~22節①

結婚(離婚)のこと、子どものこと、富のこと、三つのテーマが続きます。今日は三つ目、富のことです。この箇所について、今日と次週の二回見て、その次のまとめの箇所も二回味わいたいと思います。主イエスが子どもたちを祝福なさった後、旅に出ようとなさ…

2017年11月12日「神の国を受け入れよう」マルコ10章13-16節

結婚(離婚)のこと、子どものこと、富のこと、三つのテーマが続きます。今日は二つ目の子どものことです。まずこの箇所には、主イエスの憤りが描かれています(マタイやルカでは省かれている)。何を見て主イエスは憤られたのでしょうか。13節。子ども達…

2017年11月5日「神が結び合わせたものを」マルコによる福音書10章1~12節

今日の箇所から、結婚のこと、子供のこと、富のこと、三つのテーマが続きます。この全体を流れる主イエスの教えについては将来触れることにして、今日はこの箇所から学ぶことに注目します。まず1節で、状況の設定がなされます。ファリサイ派の人々はイエス…

2017年10月29日「自分の内に塩を持て」マルコによる福音書9章42~50節

今日で9章が終わります。8章でペトロが信仰告白をして、それを受けるようにして主イエスは受難予告を語ります。更に山上の変貌などあって、主イエスはもはや大勢の群衆を憐れむことよりも、十字架を目指して、弟子たちの薫育を活動の中心に置かれます。そ…

2017年10月22日「私達の味方」マルコによる福音書9章38~41節

今日の箇所ではまず、ヨハネが主イエスに報告しています。38節。ヨハネは、「雷の子」(3章)というニックネームを主イエスから付けられていました。恐らく、大声で、また怒りやすかった。主イエスが、「私の名のために(37節)」と仰ったので、一つの…

2017年10月15日「受け入れる生き方」マルコによる福音書9章30~37節

前回は山上の変貌の後、山を降りてきた時の出来事でした。主イエスの主な活動地域であるガリラヤ地方に行きますが、もはや十字架に掛かるエルサレムが視野に入っているので、「通って行」くだけです。30~32節。新共同訳聖書では…と表題を付けていますし…

2017年10月8日「祈りによらなければ」マルコによる福音書9章14~29節

前回は山上の変貌で、福音書の頂点でした。今日は山から降りてきた直後の出来事です。出来事自体は複雑ではありますが、読めば分かる事柄です。ただ二点だけ、少し分かりにくいことについて説明をします。それから、三つのポイントに絞ってお話ししましょう…

2017年10月1日「山上の変貌」マルコによる福音書9章2~13節

今日は山上の変貌の箇所です。ここが福音書の頂点です。ペトロの信仰告白、主イエスの受難予告に続いて、今日の箇所では、父なる神の宣言(7節)です。様々な読み方・読み取りがこの箇所にはありうるのですが、この神の宣言こそ、この箇所の中心でしょう。…

2017年9月24日「自分の命の重さ」マルコによる福音書8章31~9章1節

前回弟子たちを代表してぺトロが、「あなたはキリストです」と告白しました。主イエスはその告白を受けて、今まで語ってこられなかった新しいことを教え始めます。31・32節前半。まさにどれほど弟子たちの期待と異なる「キリスト」であるかを、神がどの…

2017年9月17日「あなたは、キリスト」マルコによる福音書9章27~30節

27節前半。このフィリポ・カイサリア地方というのは、新約聖書の世界の中で、最も水が豊かな地方の一つです。他には、ザーカイの出てくる出来事で有名なエリコなどもそうです。あまり水のない荒涼とした地域を旅しますと、私達水の豊かな所に生まれ育った…

2017年9月10日「何か見えるか」マルコによる福音書8章22~26節

今日の箇所は盲人の癒しです。旧約聖書、イスラエルの伝統において、盲人の癒しは、終末のしるしです。ですから、この箇所が表現しているのは、主イエスがいらしたことによって終りの時が既にはじまっているのだということです。 今日の箇所について、三つの…

2017年9月3日「まだ悟らないのか」マルコによる福音書9章1~21節

今日の箇所は三つの部分からなります。最初は一番長い四千人の給食、二番目はファリサイ派の人びとの要求と主イエスの拒絶、三番目がパン種に気を付けなさいという警告です。この三つが、マルコによって密接に結び付けられて語られます。まず最初の四千人の…

2017年8月27日「主イエスのなさったことは」マルコによる福音書7章31~37節

前回(先々週)は、シリア・フェニキア生まれの女でした。それ以前に出てきましたファリサイ派や律法学者の人々の間違いや、群衆と弟子たちの無理解が際立つ、必死だけれども謙遜で、ウィットに富んだ女の応答でした。今日の箇所は、これまでの箇所を纏める…

2017年8月20日「信じること、生きること」フィリピの信徒への手紙2章1~11節 國安敬二

私たちは誰でも一人で生きて行く事はできません。人は家庭をつくり、社会をつくってその一員として、共同体の中で生活するものです。それゆえ、人々は互いにその存在を認め、尊重し合って「共に生きる」ことによって、その共同体はその社会に貢献し、その役…

2017年8月13日「主イエスをも動かす信仰」マルコによる福音書7章24~30節

前回までは、イスラエルの民の話でした。主イエスが、「汚れ」とは何かについて丁寧に教えても弟子たちさえ理解しません。今日の箇所は対照的に、異邦の女、シリア・フェニキアの生まれのギリシア人の女です。24~26節。病気の子どもを持つ親の思いは、…

2017年8月6日「人を汚すもの」マルコによる福音書7章14~23節

前回と今回は(一度に取り上げることも多い位)密接に結びついています。最初に問うた「なぜ汚れた手で」という問いには、「清さと汚れ」という問題があります。汚れは外から来るもので、それを防ぐために手を洗うなどします。主イエスは、そういう発想(人…

2017年7月30日「人間の言い伝えと」マルコによる福音書7章1~13節

前回の最後が、まとめの箇所であったことからも分かりますように、今日から新しい箇所になります。今日の区切りは、23節までと迷いましたが、短い方にしました。1・2節は、主イエスの評判が広く知れ渡るようになったので、エルサレムからもその様子を調…

2017年7月23日「心の鈍さを越えて」マルコによる福音書6章45~56節

前回、主イエスは帰還した十二人をを労い、休息を与えようとなさいましたが、かなわず、五千人の給食でした。そのすぐ後の出来事です。普段は群衆の解散は弟子たちの仕事だったのでしょうが、このときは、弟子たちを休ませるためでしょうか、主イエスご自身…

2017年7月16日「あなた方が与えなさい」(マルコによる福音書6章30~44節)

前々回、主イエスは十二人を派遣なさいました。前回は間を埋める記事で、今日、派遣された弟子たちの帰還です。主イエスは弟子たちの報告を聞いて、弟子たちを労い、休息を与えようとなさいます。30~32節。ところが計画通りにはいきません。「人里離れ…

2017年7月9日「罪の恐れが生むもの」マルコによる福音書6章14~29節

前回の聖書箇所で、主イエスは十二人を派遣なさり、次回の箇所では帰って来た使徒たちが報告をします。ですから今日の記事は、派遣と帰還の間を埋める記事です。なぜマルコは、この記事をここに置いたのか。ヨハネが実際に殺されたのは、もっと早い時期だっ…

2017年7月2日「十二使徒を派遣する」(マルコによる福音書6章6後半~13節)

前回の聖書箇所では、主イエスは故郷の人々に拒絶され、(わずかの癒しを除いては)何も奇跡を行うことができませんでした。そこで主イエスはどうなさったでしょうか。6節後半。信じない人々に無理やり信仰をおしつけるのではなく、故郷を去ります。そして…

2017年6月25日「驚くほどの不信仰」マルコによる福音書6章1~6節前半

今日の聖書箇所は、聖書本文ではない表題では、「ナザレ」となっていますが、本文では、「故郷」だけです。1・2節。人々は、主イエスの語る言葉、主イエスのなさる奇跡の業に驚きます。しかしその驚きは信仰へと成長しません。3節。主イエスの子ども時代…

2017年6月18日「タリタ、クム」マルコによる福音書5章21~43節②

今回は前回と同じ聖書箇所です。前回、出血の止まらなかった女をみました。今日はヤイロの娘をみます。サンドイッチの形のパンの部分です。きっかけは、21~25節。とにかく主イエスが来て、手を置いて下されば、という信仰です。前回の女と同様に、この…

2016年6月11日「あなたの信仰が」マルコによる福音書5章21~43節

今日からマルコの講解説教に戻ります。今回と次回は同じ聖書箇所です。今回は出血の止まらなかった女、次回はヤイロの娘をみます。まず、このサンドイッチの形に注目しましょう。ヤイロの娘の記事に、出血の止まらなかった女の記事が挟み込まれています。何…