これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年8月6日「人を汚すもの」マルコによる福音書7章14~23節

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 前回と今回は(一度に取り上げることも多い位)密接に結びついています。最初に問うた「なぜ汚れた手で」という問いには、「清さと汚れ」という問題があります。汚れは外から来るもので、それを防ぐために手を洗うなどします。主イエスは、そういう発想(人間は本来その内側は汚れていない、外から来る汚れを防げばよい)を真正面から否定なさいます。15節。多くの宗教にはタブー(禁忌)があり、食物規定はその中核をなすものです。しかし主イエスは、本当に人を汚すものが何であるか見抜いておられます。弟子たちが(群衆に語られた言葉を理解しないので)主イエスは弟子たちに向かって、更に詳しく語られます。17~21節前半。説明が必要なのは、19節でしょう。全ての食べ物は、神が造られており、清いのです。しかしこのことは、使徒言行録10章をみれば分かるように、主イエスの一番身近にいた弟子たちでもなかなか理解できないことでした。
 今日は、平和聖日です。多くの戦争は、「平和のために」という名目ではじめられました。日本でもドイツでも。更にアメリカの原爆も。なぜ皆が平和を求めながら、戦争になってしまうのか。大勢の人を殺してしまうのか。人々の心から、悪い思いが出てくるからです。為政者を先頭に、しかし為政者ばかりではなくて、多くの国民(情報操作によって騙されていたとしても)が、後で冷静になればおかしいと分かるような、悪い思いにとりつかれてしまいます。21節後半~23節。私達はこの悪の現実、私達の悲惨な現実の中でどうしたらよいのでしょう。私達は私達の力で、人を汚す悪いものから身を守ることはできません。ただ外から私達にやってくる神の言葉、聖霊によって、私達は清くされます。主イエスは、そのために十字架の死を死んで下さいました。ここから出発するしかありません。