これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2023年3月5日「私の恥を取り去って」(ルカによる福音書1章21~25節)

 ルカによる福音書の講解説教も今日で三回目です。まず素直に前回の続きの箇所です。21・22節です。ここで人々はザカリアが幻をみたのだと悟ります。こういう感性は私達には欠けているのではないでしょうか。幻といいますと、現代においては否定的に捉えられることが多いと思いますが、かつてはそうではありませんでした。例えば、私達はビジョン協議会をもちますが、このビジョンは、幻です。私達の理性では関知できないけれども、神様が与えてくださり、私達が理解できる、そういう将来が幻で示されます。
 次に後半をみましょう。23~25節です。この箇所で最も大切なポイントは、「私の恥を取り去ってくださったという箇所でしょう。その前に、なぜ彼女は五カ月の間身を隠していたのかなどもポイントです。かなり高齢であったので、妊娠初期の流産の可能性を考えていたなどの可能性があるのてしょう。
 そして恥を取り去ってくださった。それは、一番素直にいうと、ラケルがヨセフをみごもったときのように、神が目を止めて恵みを与えてくださったということです。現代においては、多様な価値が認められて、子どもを産まないから、直ちにマイナスだという評価にはならないでしょう。尤も古代に比べれば小さいとはいえ、やはり子どもを産むことは、大きな要素でもあります。
 しかしこの「私の恥を取り去って」は、単に子どもを授かったことだけではなくて、それが救済史の中で大きな出来事であったことがあります。私達が皆そのような恵みにあずかるわけではありません。しかし、主は「私の恥を取り去ってくださった」と告白できるような歩みを私達一人ひとりに備えてくださるのだと私達は神に信頼してよいのです。