2019-01-01から1年間の記事一覧
今日は今年最後の礼拝です。そしてまたそのように意図したわけではありませんが、山上の説教の最後でもあります。次回(新年最初の礼拝)から、主イエスの救いの行ないに関する、8章からの箇所を今まで同様丁寧に読んでいきます。 既に7章全体が纏めの箇所…
https://www.dropbox.com/s/?dl=0 クリスマスおめでとうございます。 あと少しで山上の説教が終るのですけれども、前回と今日クリスマス礼拝では、マタイの講解説教をはじめるときにとっておいた箇所です。今日は、占星術の学者たち(今回の新しい翻訳では東…
あと少しで山上の説教が終るのですけれども、今回と次回は、マタイの講解説教をはじめるときにとっておいた箇所です。今日は、主イエスの誕生の場面、次回は占星術の学者たちの記事です。 この記事から語るべきこと、お伝えすべきことはたくさんあるかと思い…
前回までにこの山上の説教で主イエスは、主イエスの御後に従っていく弟子たち、私達キリスト者の生き方を教えてくださいました。その最後にあたって、まず私達は求める(祈る)ことの大切さ、そして多くの人が見落として気が付きもしない狭い門から入ること…
前回、求めることの大切さが教えられました。キリスト者として主イエスの後に従うのはどのような生き方であるかが今まで示されてきましたけれども、私達はなかなかそのように生きることができません。だからこそ、神様ご自身に対して、祈りの内に私達がその…
山上の説教も終盤に入ってきましたが、今日もまた、とても有名な箇所です。 7・ 8節。「求めよ、探せ、門をたたけ」。まず問題になるのは、これが何についての言葉なのかということです。私達の欲望に関するものでないことは明らかです。ここで、何よりもま…
前回は、神の国と神の義を求めて生きることの大切さをみました。その中で大切なことは、裁かないことです。1・2節。この、私達を裁くのは誰でしょうか。他者の裁きを恐れる必要はありません。それは前回みました。ただ、神が裁かれます。私達は終わりの日…
前回は、神の国と神の義を求めて生きることの大切さをみました。その中で大切なことは、裁かないことです。1・2節。この、私達を裁くのは誰でしょうか。他者の裁きを恐れる必要はありません。それは前回みました。ただ、神が裁かれます。私達は終わりの日…
前回は、神への眼差しに生きる、私達が神と神でない何かに同時に仕えるのではなくて、まっすぐに単純に神に仕える生き方を選びとることが求められていました。今日はそのような生き方の特長である、思い悩まないことについて、です。多くの方が仰るのは、信…
施し、祈り、断食についての言葉が終わり、次の単元です。新共同訳聖書の表題が三つありますように、三つそれぞれをみていくこともできますが、今回はマタイ福音書記者がこのように並べた意図(ルカと比べると、マタイが一カ所に集めたことがよく分かります…
施し、祈り、断食、主イエスは当時善行とされたこの三つのことについて語ります。今日は三つ目の断食です。しかし今までの二つ、施し、祈りに比べて、私達キリスト教会にとって、この「断食」は、少し遠い感じがするのではないでしょうか。勿論、キリスト教…
主イエスは主の祈りを教えます。前半の部分では、神・天に関する祈りでした(もっとも実はそれ自体が私達の地上の生活と深く関わっていますが)。今日は後半、私達人間・地上のことで、三つの祈りからなります。糧を求める祈り、負い目を赦してくださいとい…
主イエスは祈りについて教える後半で、主の祈りを教えます。今日はその前半の部分、神・天に関する祈りです(次回後半、私達人間・地上のこと)。主イエスは、「こう祈りなさい」と仰って、主の祈りを語ります。9節前半。まず神への呼びかけの言葉です。元…
現在私達は山上の説教の中で、施し・祈り・断食についての教えを学んでいます。一つ目の施しと同様に、この二つ目の祈りにおいても、偽善者がするように、見せびらかさないことの大切さが語られています。5節。人々に見せる祈りは、既に人々から報いを受け…
前回まで幾つもの反対命題でありました。私達が、この世界でキリスト者として生き続けることができるように、厳しくも福音である大きな問いの前に立たされました。今日から、新しい単元に入ります。18節までで、三つの徳・三つの義について教えておられま…
今回も反対命題です。今日は五つ目と六つ目、更には反対命題の全体をまとめる、「完全な者となりなさい」という勧めです。今日の聖書箇所は、私自身の教会へ行くようになったきっかけの部分ですが、証ではないのでそれは省きます(いつかそういう機会のとき…
今回も反対命題です。今日は四つ目です。前回同様、「一切誓いを立ててはならない」と、かなり厳しいことが言われます。最初に今までの命題との二つの違いをみましょう。一つ目は、反対命題のもとになる、「あなたがたも聞いている」ことの中身が旧約聖書に…
前回は、最初の反対命題でした。今日は二つ目と三つです。前回同様、かなり厳しいことが言われます。一つ目の「姦淫」は、実際にしなくても、みだらな思いで見る者は犯したことになるといいます。27・28節。更につまずきをもたらす、目や手を捨てること…
前回は、律法に対する主イエスの基本的な姿勢が述べられていました。今日から、反対命題になります。六つの反対命題が述べられた後、当時のユダヤで三つの徳とされた施し・祈り・断食についての教えです。今日は一つ目の反対命題をみます。最初に律法として…
前回、私たちが、何の功績もなくても、ただ主イエスの弟子であるというだけで、既に地の塩・世の光だという聖書箇所でした。今日から、律法に関する箇所に入ります。私たちはキリスト者になったからといって、ユダヤ教の律法を遵守したりはしません(一部の…
p>今日の聖書箇所で、まず大切なことは、主イエスが「あなたがたは地の塩(世の光)である」と断言しておられることです。ここに理想や目標を見いだすのは間違っています。主イエスは、「地の塩(世の光)になりなさい」とは、仰いません。これはどういう意…
今日は日本基督教団では平和聖日です。そして丁度山上の説教の最初、山上の祝福をみていますので、今日は9節の御言葉に集中しましょう。また、神の与えてくださる平和がどのようなものであるのか、イザヤ書からも聴きます。 この9節の祝福を聞いて、「ああ…
前回大まかに「山上の祝福」の全体をみました。今日は最後の迫害の話に集中しましょう。10節。まず注目すべきは、3節との関連です。後半が同じです。それだから、3節と10節は同じ中身だという方もおられます。しかし、(確かに山上の祝福全体が同じ人…
前回、最初の弟子たちが招かれました。そして後半は、9章の最後と共に、5~7章(主の教え)と8.9章(主の行い)とを囲んでいます。今回は、山上の説教の最初にあります山上の祝福を三回で読みます。1・2節。ラビが弟子たちに教える時のように主イエ…
前回は宣教開始でした。今日の箇所から具体的にその内容が記されていきます。今日の箇所は、前半と後半の二つに大きく分かれています。「最初の弟子たち」(今日の説教題)は、厳密にいうと、前半だけのことです。しかしこの前半と後半とが密接に結びついて…
前回までの箇所で、主イエスの誕生と子ども時代、更に、ヨハネから洗礼を受けて悪魔の誘惑を受けました。それでいわば、準備は終わったのですが、直ちに宣教開始ではありません。12節。まず第一に、ヨハネの逮捕が宣教開始のきっかけになります。それは当…
1節。ここに荒れ野の誘惑の意味が示されます。聖霊に導かれて。悪魔から誘惑を受けるために。ヘブライ人への手紙4章15節。その誘惑は三つです。順にみていきましょう。2~4節。霊肉二元論に陥って、「肉的なものはどうでもよい、霊的ものが大切だ」と…
洗礼者ヨハネ マタイ3章1~12節 190623 まず前半、1~6節。主イエスに洗礼を授けるヨハネがどのような人物で何をしたのかが紹介されます。ヨハネは、イザヤ書に預言されている通りに、主イエスの道を整える人物です。4節の記述は、特別に敬虔な様子を…
洗礼者ヨハネ マタイ3章1~12節 190623 まず前半、1~6節。主イエスに洗礼を授けるヨハネがどのような人物で何をしたのかが紹介されます。ヨハネは、イザヤ書に預言されている通りに、主イエスの道を整える人物です。4節の記述は、特別に敬虔な様子を…
前回ペンテコステのために講解説教の順番からいいますと少し先になります、主イエスの洗礼の箇所をみました。今日は、少しだけ遡って、元の流れに戻ります。ヘロデは(史実として認められるかどうかは微妙ですが)二歳以下の男の子を皆殺しにします。このヘ…