これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年6月9日「ナザレの人と」(マタイによる福音書2章19~23節)

 前回ペンテコステのために講解説教の順番からいいますと少し先になります、主イエスの洗礼の箇所をみました。今日は、少しだけ遡って、元の流れに戻ります。ヘロデは(史実として認められるかどうかは微妙ですが)二歳以下の男の子を皆殺しにします。このヘロデの治世の間にイスラエルに戻りますと危険ですから、ヘロデが死ぬまでは、主イエスはエジプトにいます。19・20節。ヘロデが亡くなったのは、紀元前四年と分かっていますから、主イエスがお生まれになったのは、それよりも前です。何年エジプトにおられたのかは(書いていないので)分かりません。主イエスの命を狙っていたのはヘロデですから、なぜ複数形(者ども)なのでしょうか。一つには、ヘロデが権力者であって、ヘロデを中心とする勢力だから複数です。しかしいま一つには、出エジプト記を模しています。主イエスがエジプトに行ったのも帰って来たのも、実は出エジプトの体験に重ね合わせることができるということです。
しかしただまっすぐにイスラエルへ、というわけにはいきません。21~23節前半。ヘロデの後を継いだのは、(ユダヤ地方に関しては)アルケラオでした。この人物は、ヘロデ大王とどちらが残酷な人かと議論になるほどひどい人物で、様々な逸話が残っています。だからヨセフは主イエスとマリアを連れてナザレ(という町?)へ行きます。
しかし最後の23節後半がよく分かりません。旧約聖書を様々な人々が一所懸命に探しましたが、該当する個所がないのです。エレミヤ書など幾つかの候補はありますし、またナザレが、神への捧げ物として聖別されたナジル人を指すという説などありますが、本当の所は分かりません。だから今日は最後に三つのことだけを申し上げて終わります。まず第一に、マタイ福音書記者は、典拠が示せなくても書いてしまう位、旧約聖書の成就としての主イエス・キリストという視点を大切にしました。第二に夢の御告げ(天使)は、主にここまでです。そして最後に、ナザレとは、都エルサレムなどと比較するとかなり田舎で、差別されていた、下に見られていた、そういう所で主イエスは育たれました(家畜小屋に生まれただけではなくて)。私たちは、主イエスが神によってどこに立たせられていたかをきちんとわきまえましょう。