これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年6月10日「つまずきと死を越えて」(マルコによる福音書14章27~31節)

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 前回、主イエスと十二人の弟子たちは、最後の晩餐の後、賛美の歌を歌ってから、オリーブ山に向かいました。次回はゲツセマネに着きますから、今日の聖書箇所は、その道の途中です。主イエスは(旧約)聖書に基づいて(ゼカリヤ13章7節)、弟子たちが皆つまずくことを予告します。27節。しかし主イエスの言葉はこれで終わりません。28節。ここには、慰めと励ましがあります。すぐにペトロが応えます。29節。ここにペトロの罪が既に現れています。「たとえみんなが…」。この発言には、他の十一人の弟子たちがどうであれ、自分は大丈夫だという自信が溢れています。いやもしかすると、前回の箇所から分かるように、自信がないからこそ、自分にも言い聞かせるようにして、語ったのかもしれません。このペトロの言葉を受けて、主イエスは更に丁寧に具体的に、ぺトロのことを語ります。30節。この章の最後に起こる現実を予言します。ペトロは更に言い張ります。31節前半。そしてこの「自分は大丈夫、死んでも付いていく」という傲慢の罪が、一番弟子のペトロだけのものではなくて、弟子たちに共通する罪であることが示されてこの箇所は終わります。31節後半。
 ここから今日、私たちは特に三つのことを聴きましょう。まず第一に、主イエスの気持ちです。もうすぐ殺されることが分かっています。しかもその時に今まで生活を共にして、共に旅から旅の生活をしてきた全ての弟子たちに見捨てられることもここで予告しましたように分かっておられます。ここにどれほどの孤独と悲しさ、そして絶望があることでしょうか。しかし第二に、主イエスは宣言なさいます。28節。弟子たちが主イエスを見捨てても、主イエスは弟子たちを見捨てないで、先にガリラヤへ行くと約束して下さいます。そして第三に、最後に、弟子たち・私たちの信仰の根拠がどこにあるのかということです。もしも私たちが自分の信仰の根拠を自分自身に置くならば、この弟子たちのようにそこにあるのは挫折です。主イエスが「先に」と約束して下さる。ここにこそ、弟子たち・私たちの信仰の根拠、つまずきと死を越えて成り立つ信仰があります。