これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年9月6日「信仰の薄い者よ」(マタイによる福音書14章22~36節)

 今日は、五千人の給食の直後の記事です。主イエスは弟子たちを船出させます。22・23節です。「強いて」とあります。弟子たちの中には何人も漁師の人がいますから、湖の様子から船を出したくなかったかもしれません。しかし主イエスは彼らを行かせます。そして主イエスご自身は、一人だけで祈ります。一人で祈ることは大切です。父なる神と深い繋がりのある主イエスでさえそうですから、私達は尚更でしょう。逆風、波に悩む弟子たちに、夜明け頃主イエスは現れて、声を掛けます。24~27節です。ここまでもその先も、物語自体には分かりづらい所はありません。幽霊だと間違えるのも、恐怖のあまり叫び声をあげるのも無理からぬことでしょう。主イエスの神顕現の言葉もこの箇所にふさわしく、弟子たちを安心させたことでしょう。
 後半はペトロの申し出からはじまります。28節です。この申し出を主イエスが受け入れ、ペトロもまた湖の上を歩きます。29節です。しかしペトロは、怖くなって沈みかけます。30節です。主イエスはペトロを助けます。このときの主イエスの呼びかけ、「信仰の薄い者よ」を今回は説教題にしました。「薄い」は「小さい」です。ペトロのことから分かるように、私達の信仰が小さくても、その小ささの只中で主イエスに助けを求めて呼びかけるならば、主イエスは応えて助けてくださる。私達教会の歩みは常にそのようなものなのではないでしょうか。自分が沈みかけていることにさえ気が付かない不信仰(信仰がない状態)ではなくて、どんなに小さくてもよい(からし種一粒の信仰があれば山も動くのですから、私達の信仰はからし種一粒にも満たない小さなものです)、主イエスから与えられた信仰を生きましょう。