これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年5月19日「系図の女たち」(マタイによる福音書1章1~17節)

 今日からマタイによる福音書の講解説教です。最初に系図があって、「さあ新約聖書を読んでみよう」とはりきった未信者の方が、この最初の頁で挫折してしまうという話はよく聞きます。しかしかつては識字率が低く、書物も高価であったので、あまり問題にはならなかったでしょう。なぜ最初に系図があるのでしょうか。実は、旧約聖書を真似ています。私たちは創世記などを読む時に、系図の部分は流して読んでしまう傾向があります。おもしろくありませんし、私たちではなくて、ユダヤ人の系図だからでしょう。しかし実は、この系図ということ、自分が歴史の中でどんな位置にいるのかということが、旧約聖書の書かれた(編まれた)大切な理由でした。だからこのマタイの系図も、私たちが救い主と信じるキリストの系図をきちんと描くことで、主イエスをイスラエルの歴史の中に位置づけるという明確な目的があります(四つの福音書それぞれのおおまかな特徴)。
 しかしそれだけではありません。実はこの系図には、四人の女性たちがでてきます。3節の「ユダはタマルによって」。5節の「サルモンはラハブによって」。「ボアズはルツによって」。更に6節の「ダビデはウリヤの妻によって」。それぞれの女性たちをみてみると、サラやラケルのようないわゆる模範的な女性は全て省かれていて、私たちが立ち止まって考え込んでしまうような女性たちです。順番にみてみましょう。
 なぜ、マタイはこのような女性たちをあえて主イエスの系図に載せたのでしょう。そこにあるのは、私たち人間の罪にも関わらず、主イエスを遣わして、私たち人間を救おうとなさる、神の強い・激しい意志ではないでしょうか。そして神はこのような女たちを救いへの道筋に用いたという証言です。