これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年12月15日「インマヌエル」(マタイによる福音書1章18~25節)

 あと少しで山上の説教が終るのですけれども、今回と次回は、マタイの講解説教をはじめるときにとっておいた箇所です。今日は、主イエスの誕生の場面、次回は占星術の学者たちの記事です。
 この記事から語るべきこと、お伝えすべきことはたくさんあるかと思います。しかし今回は三つのことだけを申し上げましょう。まず第一に、インマヌエル(神は我々と共におられる)です。これは、マタイによる福音書全体の枠組みとなっています。この福音書の最後、主イエスが昇天なさる箇所で、主イエスは仰います、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(いわゆる大宣教命令の最後)。この福音書全体が語りたいこと、それは、主イエスが(私達がクリスマスにお祝い致しますように)お生まれになられてから、今に至るまで、ずっと共にいて下さるのだという事実です。私達はどんなに困難にしか思えない状況にあっても、いつでも、主イエスが、私達の救い主が、共にいてくださる、この事実に励まされることができます。
 第二に、ヨセフの正しさについてです。19節。私達が陥りがちな過ちは、正しさのゆえに裁いてしまうことではないでしょうか。本当に正しく生きるとは、他者への憐れみに生きることであって、裁くことではありません。多くの方々が勘違いしておられるこのことについて、私達は主イエスにならって、正しくありましょう。
 第三に(最後に)、自分の正しさを越える神の御告げ、神の正しさを生きようとするヨセフの姿から学びましょう。彼は、19節で考えたようにではなくて、神から命じられたように行動します。マリアを妻として迎え入れます。ヨセフの中に、様々な思いがあったことでしょう。しかし、そういう自分の思いを越えて、神を尊重するヨセフです。そんな人物の所に、救い主イエスはお生まれになりました。