これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年1月9日「いつも共にいる」(マタイによる福音書28章16~20節)

 今日はマタイによる福音書講解説教の最終回です。前回(12月の最後)は、この同じ箇所から、「疑う者もいた」(17節)ということに焦点を当てて語りました。今日は、後半、特に最後の「いつもあなたがたと共にいる」に焦点を当てます。
 まず、その前のいわゆる大宣教命令です。18~20節前半です。この大宣教命令は、多くの人に宣教の使命を自覚させる、大切な役割を果たしてきました。しかし実は、影響史を丁寧にみてみますと、近代になってはじめて、脚光を浴びるようになったようです。なぜなら、それ以前の、キリスト者であることが当たり前の世界では、このように伝道・宣教する対象が見つからなかったからです。ここには三つのポイントがあります。まず第一に、主イエスが「天と地の一切の権能を授かっている」ことです。このことを本気で信じてはじめて、私達は真剣に宣教を押し進めることができます。第二に、福音を口先だけ語るのではなくて、主イエスの弟子にすることが求められています。それは、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けることです。そして第三に、(マタイ全体の特徴でもありますが)単なる知識としての福音ではなくて、行うことが求められ強調されています。
 そのような大宣教命令の後に、大きな約束があります。20節後半です。このことは、この福音書では最初と最後にあって、福音書全体を貫くメッセージです。最初は、主イエスの名前がつけられる箇所にあった「インマヌエル」です。そして最後がこの主イエスの言葉です。主イエスは神であり同時に人であられます。だから、主イエスが世の終わりまで共にいてくださるということは、神が世の終わりまで共にいてくださるということです。これは、神、そして救い主、主イエスを私達の救い主として受け入れるならば、一番大きな約束です。さあはじまったばかりのこの年、「いつも共に」いてくださる方と共に歩みましょう。