これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年10月25日「サタン、引き下がれ」(マタイによる福音書16章21~28節)

 福音書の頂点・分水嶺は、前回のペトロの告白と次章の山上の変貌です。そしてこの二つの出来事に挟まれる形で、最初の受難予告がなされています(今日の箇所です)。これはペトロの告白に呼応してなされました。21節です。しかしペトロはこの主イエスの告白を受け入れるのではなくて、ま逆にいさめます。22節です。そして主イエスは、このペトロに語られます、「サタン、引き下がれ(今日の説教題)」と。23節です。なぜ主イエスは、こんなにも厳しくペトロを叱るのでしょうか。それは、神のことではなくて人間のことを思っているからです。確かにペトロは弟子たちを代表して、教会の礎となるような素晴らしい告白をしました。しかしそのメシア理解・メシアへの期待は、私達教会が知っているものとは異なる、植民地支配からの解放などでした。
 それでは、「神のことを思う」とはどういうことでしょう。次に主イエスは、弟子たち全体に語ります、24~27節です。神のことを思う者がとる行動は、主イエスについていくことです。そしてそれは、私達教会の志でもあるのですが、自分を捨てて自分の十字架を背負って従うことです。これは決して英雄的な行動を促すものではありません(ときには結果としてそうなることもありますが)。何か特別なことをすることではなくて、私達自身の日常において、キリストのために自分の命を失う覚悟をもって生きることです。なぜそんなことが可能なのでしょう。命の約束(25・26節)があるからです。そして、主イエスは、(マタイ福音書記者の強調することですが)「それぞれの行い(27節)」を大切にします。28節は、復活のことか再臨のことか解釈が分かれます。
 主イエスは、父なる神が、私達一人ひとりに対して、わたしたち一人ひとりの命が全世界よりも貴い、価値があるのだとしてくださっていることを、わたしたちに語ります。わたしたちは神から与えられた貴さに相応しく生きましょう。