これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年10月27日「断食」(マタイによる福音書6章16~18節)

 施し、祈り、断食、主イエスは当時善行とされたこの三つのことについて語ります。今日は三つ目の断食です。しかし今までの二つ、施し、祈りに比べて、私達キリスト教会にとって、この「断食」は、少し遠い感じがするのではないでしょうか。勿論、キリスト教会には断食がないということではありません。主イエスとその弟子たちは、あまり断食を重んじなかった様子が福音書から分かりますけれども、主イエスは断食を否定はしませんでした。今は花婿が共にいるのだから断食のときではないが、将来断食する時が来るのだと仰いました。また今日の箇所も、断食するのを前提とした記述になっています。私達は、「全てのことが自由である」という立場から、断食を必須のこととはしていないだけで、私の知り合いにも、週に二日間の断食を行う方もあられます。私は持病の関係で、断食をするとなるとかなり適切な医療的配慮が必要になるでしょう。
 16~18節。基本的には、前の二つと同じです。人に見られたがる「偽善者」のようにするな。隠れたことをみておられる父なる神が全てを知っておられる。「断食を自分はしているのだぞ」とアピールするのではなくて(人が評価してくれることは既に報いを受けてしまっています)、むしろ人に気づかれないように、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。前の二つと同じように、この断食に関しても、人目を気にするのではなく(自分の眼差しさえ気にしないで)、ただ神との交わりという大切なことを大切にする。そこで、私達は、人や自分の評価に縛られた息苦しい生きる姿から全く解き放たれて、福音を自由に生きるキリスト者になっていくことができます。完成は終末、再臨を待たなければならないとしても、今既にそのために私達は戦っていますし、それこそが喜ばしい生き方です。