これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年8月11日「地の塩である」(マタイによる福音書5章13~16節)

p>今日の聖書箇所で、まず大切なことは、主イエスが「あなたがたは地の塩(世の光)である」と断言しておられることです。ここに理想や目標を見いだすのは間違っています。主イエスは、「地の塩(世の光)になりなさい」とは、仰いません。これはどういう意味でしょうか。私たちは、自分が地の塩だとか世の光だなどと考えることはとてもできません。しかし主イエスはそう宣言してくださいます。このギャップ、私たちが私たち自身をみて評価する現実と、主イエスが私たちを見て宣言してくださる現実のギャップをきちんとわきまえることが大切です。そうでないと、罪を犯すことになります。私はとても自分を地の塩(世の光)などとは思えないけれども、主イエスはそのようにみてくださっている、主イエスの眼差しにおいてはそうなのだ、この現実に生きるときに、私たちは、まさに地の塩(世の光)として生きることになるのです。
 塩は目立ってはいけません。光は(まぶしさに目が眩むほどに輝いてはいけませんが)輝いて闇に光をもたらします。私たちの現実が塩のように目立たないが大切なものであれ、光のように目立つものであれ、それはどちらでもよい。この世界に、よい働きをなすものであればよい(例えばコロサイ4章6節)。
 その結果は、16節。私たちの立派な(良い・美しい)行いは、それによって私たちがほめたたえられるようでは間違っています。私たちの行いの根底にある、神をほめたたえ、あがめる。ここで前回の「迫害」との緊張関係を見ておきましょう…。世の反応がどちらであれ、私たちが地の塩・世の光として生きることができるように十字架に至るこの地上の歩みを生きられた主イエスを証する私たちでありましょう。