これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年11月5日「神が結び合わせたものを」マルコによる福音書10章1~12節

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 今日の箇所から、結婚のこと、子供のこと、富のこと、三つのテーマが続きます。この全体を流れる主イエスの教えについては将来触れることにして、今日はこの箇所から学ぶことに注目します。まず1節で、状況の設定がなされます。ファリサイ派の人々はイエスを試そうとして尋ねます。2節。ここで彼らが問題にしているのは、離縁です(しかも夫が一方的に)。主イエスは答えないで問い返します、3節。彼らは誰もがよく知っていることを答えます。4節。ここで主イエスは、「モーセの律法に従うがよい」と彼らをいなすこともできたでしょう。しかし弟子たちの薫育のために、結婚の意義を語ります。5~9節。ここで主イエスは、ファリサイ派の人々の問いに対して、意図的に論点をずらしています。ファリサイ派の人々は、神の掟・律法の中で、何をすることまでが「許されている」かを問いました。律法主義的な発想です。それに対して、主イエスは、神はそもそも初めから、どのように定めておられるか、私達はどのような神の恵みの意志の下にあるのかを答えました。この箇所から(家に戻ってからの弟子たちとの会話も含めて)、律法主義的な掟を読んでしまっては、読み誤ります。主イエスが語っておられるのは、「そもそもどうなのか」です。私達はこの主イエスが示してくださった「神の定めたもう現実」と「自分たちの現実」を引き比べるときに、私達の罪の現実を自覚せざるを得ないのではないでしょうか。だからこそ主イエスは、十字架に掛かるという仕方でその罪を全て滅ぼして、私達が本来の神の恵みを生ききることができるようにしてくださったのです。LGBTのこと、プロテスタントで離婚をどう理解しているか、実際に離婚しておられる方が語られる福音の恵みに深い洞察を示されることなど、語るべきことは多くあるのかもしれません。しかしまずあなたが、主イエスの、律法主義的ではなくて、神の恵みからの見方を身に付けていただければと、願います。