これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017-01-01から1年間の記事一覧

2017年6月4日「教会が生まれる」使徒言行録2章1~11節

今日は、講解説教を一回お休みし、ペンテコステによく読まれる箇所です。使徒言行録は、ルカの続編で、聖霊を授けられる約束と主イエスの昇天からはじまり、1章の後半では裏切り者のユダの代わりにマティアを選出します。弟子たちは、昇天から後、十日間、…

2017年5月28日「自分の家に帰りなさい」マルコによる福音書5章1~20節

今日の聖書箇所では、一人の人が癒されています。しかし場所ははっきりしませんし、福音書によって異なっています。「どこか」ということよりも、異邦人の地である(ユダヤ人の地ではない)ことが大切です。湖になだれこむ二千匹の家畜が豚である(ユダヤ人…

2017年5月21日「まだ信じないのか」マルコによる福音書4章35~41節

今日から、主イエスの奇跡集です。4章の前回までの箇所が、多少文脈にむりがあってもたとえ集であったように、ここから5章にかけて主イエスの神の子としての不思議な業(主イエスが全知全能の神の子であることを受け入れれば矛盾も不思議もありませんが)…

2017年5月14日「成長する種、からし種」マルコによる福音書4章26~34節

今日も、二つのたとえです。この二つはこれまでのたとえと異なり、はっきりと「神の国(支配)のたとえです。そしてこの二つのたとえの後に、4章全体のたとえ集を締めくくるようにして、33・34節があります。 一つ目の「成長する種」のたとえは、マルコ…

2017年5月7日「持つ人、持たない人」マルコによる福音書4章21~25節

今日は、ともし火と秤、二つのたとえです。これらもまた、種蒔きのたとえと同じように、様々な意味に読めますから、各自思い巡らしてみてください。ただ一つ、確実と思われるのは、文脈から、神の国(支配)のたとえ、神の国の福音のたとえです。主イエスは…

2017年4月30日「御言葉が蒔かれて」マルコによる福音書4章13~20節

前回から、この福音書の、最初のたとえ話集がはじまりましたが、今日の箇所は、主イエスご自身によるたとえの説明です(尤も実際は、後の教会による解釈と推測されますが、私達は「事実主義」に立つ福音派ではないので、この記事もまた正典にあるので大切で…

2017年4月23日「良い土地に」マルコによる福音書4章1~12節

今日から、この福音書の、最初のたとえ話集がはじまります。最後は、33・34節で締めくくられています。とても有名な「種蒔きのたとえ」ですが、大きな特徴は、13節以下にこのたとえの説明があることです。多くの学者が推論していることは、今日のたと…

2017年4月16日「あなたがたより先に」マルコによる福音書16章1~8節

今日は、講解説教をお休みしまして、復活の記事です。しかし新約聖書では、復活をビジュアルに表現した記事は一切ありません。今日の箇所も、はっきりと分かるのは、「空の墓」だけです。しかも、福音書の終わりらしからぬ終わり方です。8節。それですから…

2017年4月9日「主イエスの家族になる」マルコによる福音書3章31~35節

今日の聖書箇所は、21節と共に、ベルゼブル論争を挟み込んでサンドイッチの構造になっています。21節と31節。21節の「身内の人たち」は意味の幅の広い言葉で、31節は必ずしも否定的な意味に読む必要はありません。しかし合わせて読むと、主イエス…

2017年4月2日「許されない罪」マルコによる福音書3章20~30節

今日の聖書箇所は、聖書に時々出てくるサンドイッチの構造をしているので、あるいは、次回の箇所と共に読む方がよいのかもしれません。しかしそれぞれに大切なメッセージがありますので、今回は分けてみました。最初の節で大まかな舞台設定です。20節。次…

2017年3月26日「十二使徒の任命」マルコによる福音書3章13~19節

今日の聖書箇所は、マタイやルカにもあります。マタイではもっと簡潔な記事になっています。ルカでは、事前の祈りが強調されています。マルコの特徴は、十二人を選んだ目的が最も丁寧に描かれていることです。14節後半から15節。三つのことが書かれてい…

2017年3月19日「イエスに触れる」マルコによる福音書3章7~12節

今日の箇所は、前回までの箇所と次回からの箇所を繋ぐ部分です。前回は、主イエスを殺そうとする計画で終わっていました。今回の湖畔での出来事の後、主イエスは十二使徒の任命をなさり、十二使徒の派遣(6章6節~)までが一纏まりです。今日の箇所でまず…

2017年3月12日「主の怒りと悲しみ」マルコによる福音書3章1~6節

前回に続き、今回の話題も安息日です。そして今日の箇所、主イエスを殺す相談で、マルコ福音書の第一部は終わります。前回の麦の穂を摘むのと比べて、今日の方が「いやし」であり、会堂での出来事ですから、更に深刻です。今日の箇所は、主イエスの怒りと悲…

2017年3月5日「安息日は誰のためか」マルコによる福音書2章23~28節

前回の断食問答に続き、今回と次回の話題は安息日です。出来事は単純です。23節。彼らの行為の何が問題なのか。「盗んだ」のではありません。24節。ファリサイ派の人々が問題にするのは、安息日にしてはならないことをしていることです。麦の穂を摘むの…

2017年2月26日「断食とは何か」マルコによる福音書2章18~22節

今日の聖書箇所は、断食問答です。ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々は、断食していましたが、主イエスの弟子たちはしていませんでした。そこで人々が尋ねます、なぜしないのか。18節。主イエスは答えます、19・20節。3章6節の殺す相談まで、少…

2017年2月19日「招かれるのは誰か」 マルコによる福音書2章13-17節

今日の聖書箇所は、主イエスが何のためにこの地上に・私達の所へ来られたのかが、ご自身の言葉で語られています。「罪人を招くために」。この主イエスの言葉は、ファリサイ派の律法学者の批判の言葉から導き出されます。まず主イエスが徴税人レビを招き、レ…

2017年2月12日「誰の信仰か」マルコによる福音書2章1~12節

今日から2章に入ります。今日の箇所は、この福音書で五つ目の癒しであると共に、このあと五つ続く論争の一つ目になります。1章と2章を結んでいます。4節までが状況説明です。当時の家屋は平屋一部屋が普通で、外階段があって、屋上も様々な事に使ってい…

2017年2月5日「新しい心、新しい霊」エゼキエル書36章22~27節

今日の聖書箇所は、ローズンゲン(日々の聖句)の年の聖句です。久里浜でも名古屋でも年の最初の新年礼拝で(講解説教をお休みして)その年の年の聖句に聴いてきましたが、今年は、マルコによる福音書の講解説教に入ったばかりでしたので、マルコにしました…

2017年1月29日「御心ならば」マルコによる福音書1章40~45節

今日の聖書箇所で主イエスがなさっておられるのは、重い皮膚病の方を癒すことです。出来事自体は難しくはない易しい事柄です。三つのポイントをみていきましょう。まず第一に、この方自身の信仰です。40節。十字架や復活よりも前の出来事ですから、救いに…

2017年1月22日「祈ることと宣教と」マルコによる福音書1章35~39節

35節。前回、主イエスは、ペトロのしゅうとめを癒した後、日が暮れて(安息日が終わって)大勢の人々を癒し、悪霊を追い出しました。どの位大勢の人々を癒したのか、その後で休息をとる時間があったのか、なかったのか(いつ頃終わったのか)、その辺りの…

2017年1月15日「知っていることと信じること」マルコによる福音書1章29~34節

前回、主イエスの初めての癒しがありました。汚れた霊は、主イエスの正体を「神の聖者」と見抜きますが、従おうとしません。まだ主イエスが誰であるか本当には分かっていなくても従った四人の漁師とは対照的です。今日の箇所は安息日(土曜日)の午後(から…

2017年1月8日「権威ある新しい教え」

前回、四人の漁師が弟子になりました。主イエスの招きに、まっすぐに「すぐに」応えました。そして一行はカファルナウムに着きます。(その日ではありませんが)安息日に会堂で主イエスは教えます。21・22節。22節の、「人々が非常に驚いた」理由には…

2016年1月1日「すぐに網を捨てて」マルコによる福音書1章16~20節

一回休んで、今日からマルコに戻ります。今まで、主イエスはヨハネから洗礼を受け、荒れ野の40日間を過ごし、そして前回、公生涯がはじまる、神の福音を宣べ伝えはじめました。今日の箇所ではじめて、主イエスは発言だけではなくて、具体的に活動を致しま…