2017年5月28日「自分の家に帰りなさい」マルコによる福音書5章1~20節
今日の聖書箇所では、一人の人が癒されています。しかし場所ははっきりしませんし、福音書によって異なっています。「どこか」ということよりも、異邦人の地である(ユダヤ人の地ではない)ことが大切です。湖になだれこむ二千匹の家畜が豚である(ユダヤ人は豚を汚れた動物として飼うことも食べることもない)ことも関連しています。この癒された人は、現代で言えば、重い精神疾患でしょう。拘束することもできず、自傷行為を繰り返していたようです。しかし「悪霊にとりつかれていた」のは、この男だけではないのではないでしょうか。15~17節。この地方の人々がなぜ主イエスに出て言って欲しいと願ったのか。一つには「恐れ」でしょう(ルカ5章8節参照)。しかしそれ以上に、経済的損失の方が、一人の人が癒されることよりも大切でした。この一人の人ほど目立つ仕方ではありませんが、一人の人の命・生よりも、経済的なことを優先する発想は、明らかに悪霊につかれている姿ではないでしょうか。主イエスは、そのように主イエスを追い出そうとする人々に抗わないで、出て行きます。18節。この人の願いも無理はありません。今は正常に戻ったとしても、かつてのことを覚えている人々にこれからどんな扱いをされるか分かったものではありません。自分を悪霊の中から救い出して下さった主イエスについていきたいと願うのは当然です。しかし主イエスは許しません。19節。主イエスの召命は、常に「全てを捨てて私に従いなさい」ではないのです。この男のように、そこにとどまって、今まで省みなかった(省みることのできなかった)家族のもとに帰っていくことを求められる場合もあります。その結果、20節。断られた主イエスは去って行かれましたが、それでも力強く、福音は言い広められていきます。私達も、祈りの内に、自分の召命が何であるか、主イエスが私達にどうすること・どのように生きることを求めておられるのか、尋ね求めましょう。