これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年4月23日「良い土地に」マルコによる福音書4章1~12節

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 今日から、この福音書の、最初のたとえ話集がはじまります。最後は、33・34節で締めくくられています。とても有名な「種蒔きのたとえ」ですが、大きな特徴は、13節以下にこのたとえの説明があることです。多くの学者が推論していることは、今日のたとえ自体は、主イエスがお語りになったものだが、13節からの説明は、後の教会の人々の解釈だということです。13節以下の説明のことは、来週にゆずり、今日はこのたとえに集中しましょう。まず、情景を思い浮かべましょう。船上で語られる主イエスと、湖畔で話を聞く群衆。1・2節。様々なことを主イエスは語られましたが、最も大切こととして、マルコ記者は、「種を蒔く」たとえを記します。3~9節。子どもたちにも分かるような、当時の人々の日常に則したたとえです。私達には分かりづらい部分もありますが、当時は種蒔きをしてから耕すのだと聞けば、「なるほど」ということになるでしょう。
 ただ、現実と決定的に異なるのは、その収穫の多さです(諸説あるが、当時の収穫はおおよそ十倍位であった)。若干の失敗(道端、浅い土・石地、茨)などはあるものの、当時の農民の感覚からすれば、大変な収穫です。主イエスはここで、何に関するたとえか、一切語っておられません。だから何のたとえか、様々な読み方が可能であるし、特定しないで、各自思いめぐらしてみて頂いたらよいと思います。
 ただ、「良い土地」について三つのことを述べます。まず第一に、「良い土地」であるか否かは、私達の努力によってどうこうなることではなくて、最初から神がお定めになっておられます。「イエスを主であると告白することは聖霊によらなければできない」。私達の努力ではなく神の恵みです。第二に、それでもなお、私達は、「聞きなさい」(3、9節)と勧められています。そして最後に、三十倍、六十倍、百倍の約束です。