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日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2017年9月3日「まだ悟らないのか」マルコによる福音書9章1~21節

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 今日の箇所は三つの部分からなります。最初は一番長い四千人の給食、二番目はファリサイ派の人びとの要求と主イエスの拒絶、三番目がパン種に気を付けなさいという警告です。この三つが、マルコによって密接に結び付けられて語られます。まず最初の四千人の給食は、6章の五千人の給食との関係が議論されています。幾つかの相違があります(人数、食べ物の数、籠の種類など)が、とてもよく似た出来事です。かつては寓意的解釈がよくなされましたが、今はそのまま読むことが多いです。その場合、二つの立場があります。一つは、給食の奇跡は一回だけで、伝わり方によって二つになって、マルコがその両方を伝えたのだというものです。根拠は、4節の弟子たちの言葉です。もしも五千人の給食の後であるならば、ここまで無理解なのはおかしい、以前にあったことを弟子たちの誰かが思い出すはずだというのです。しかし今日の箇所では、ファリサイ派の人々などの「外の」人びとの無理解と、弟子たち「内の」人びとの無理解がテーマですから、無理解な弟子たちをはっきりと描き出すためだと捉えることもできます。すなわち、二つ目の立場は、実際に二回の(あるいはそれ以上の)給食がなされ、それでも弟子たちは分からなかったという立場です。事実がどうであれ、マルコは19・20節のように主イエスが問う形にしているので、事実二回だったという立場です。二つ目の箇所は、ファリサイ派の人びとの、「試そうとする」「求める」(11節)姿勢の傲慢さ、不信仰があります。神を押し退けて、自分が裁く立場、判断する立場、神の立場にいます。三つ目の箇所は、弟子たちの無理解・鈍感さが際立ちます。14~16節。主イエスの「よく気を付けなさい」の意味が全く分かっていません。17・18節は、主イエスの叱責の言葉です。そして19節から、給食の奇跡を思い出させて、「まだ悟らないのか」(21節)という主イエスの言葉で終わります。これほどの奇跡を目の当たりにしてきた弟子たちが、それでも悟らない。だからこそ、主イエスは十字架に死ななければならなかったのです。