これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年6月20日「主の言葉は滅びない」(マタイによる福音書24章32~35節)

 前回は、人の子、主イエスが、誰にでも分かるような仕方で(稲妻やはげ鷹)来るのだという箇所でした。その予兆として、今まで描かれてきた終末以前の出来事が起こります。それを明確に語るのが、いちじくの木の例えです。32・33節です。
 主が来られる予兆について、まるで真逆の二つのことが語られています。一つは、今回の予兆としての様々なことが起こるというものです。そしていま一つは、次回から語られます「突然に」ということです。どちらも本当のことです。
 いちじくの木をみましょう。知っている人は、いちじくの木をみて、枝が柔らかくなり葉が伸びると、夏が近いことが分かります。しかし知らなければ、分かりません。終末以前の様々なことが起こっても、知らない人は慌てふためくばかりで、「ああ人の子(主イエス)は戸口に近づいておられるのだ」とは分かりません。あなたがたは、分からない者ではなくて、分かる者になりなさいと、主イエスは励ましておられます。
 人の子が戸口に近づいているとは、どういう意味でしょう。はっきりしているのは、終末・再臨が来るのだということです。そしてこれは、主イエスに従わない者にとっては裁きです。主イエスに従う私達には、救いのときです。なぜなら主イエスは、本当は滅びるしかない私達を救うために、これから十字架に死なれるからです。
 34・35節は、大切なことを主イエスが仰る時の言葉、アーメンです。まず34節です。終末以前の事柄の中で、滅びだと勘違いをして慌てるなということです。そして35節です。天地は滅びます。神によって造られた全てのものは(そして全てそうなのですが)、滅びます。しかしその中で、主イエスの言葉だけは決して滅びません。私達が信頼し唯一望みを掛けるのはこの主イエスの言葉にほかなりません。これは、主イエスの言葉が滅びないのだから、この言葉に信頼して望みをおいて生きる私達もまた滅びない、永遠の命が約束されているということです。さあ、主の言葉を携えて新しい一週間を歩みましょう。