これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年6月27日「目を覚ましていなさい」(マタイによる福音書24章36~44節)

 前回、主が来られる予兆・終末の予兆について、まるで真逆の二つのことが語られているということを申し上げました。一つは前回のいちじくの木の教えです。予兆はあるのだから、きちんと見極めなさい、ということでした。いま一つは、「突然に」です。今回と次回は、そういう文脈です。
 まずとても大切な、私達がいつも心にとめておくべきことを主イエスは語ります。36節です。子なる神、主イエスでさえも知りません。ましてや、偽預言者や偽メシア(キリスト)が知るよしもありません。「いついつ終末が来る」という者は、全て偽物です。用心する必要があります。
 次にそれがノアの時と同じだと仰います。37~39節です。周りの人々は、ノアの造船をみて、小馬鹿にしていたかもしれません。こんな海もない所で船を造って、どうするんだ、と。そのとき、40・41節です。連れて行かれる者と残される者の違いは何でしょうか。それは、目を覚まして生きているかどうかです。最後の42~44節です。いつ再臨・終末が来ても大丈夫なように、用意しておくことです。物理的に目を覚ましている(目を覚ましつづけていることは不可能でしょう(ショートスリーパーと動物の話)。そうではなくて、畑で同じ仕事をしていても、同じように臼をひいていても、いつまでも同じ日々が続くのだと思い込まないで、再臨・終末に備えた生き方をしていることが大切です。それはどのようなものでしょう。それを主イエスは次回から、幾つも例えを重ねて語ります。私達は、人の子・主イエスが思いがけない時に来ることをわきまえた生き方を形作っていきましょう。