これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年12月12日「偽りは明らかに」(マタイによる福音書28章11~15節)

 前回は復活の話でした。復活そのものの描写はなく、復活した後の顕現の出来事です。それに対して、前々回の箇所(27章の最後)と今日の箇所は、マタイ独自記事です。主イエスは復活なさったのではなくて、弟子たちが遺体を盗みだして、復活したなどと嘘を言っているのだという、宗教的指導者たちの主張が嘘であることを描き出しています。
 まず、番兵たちは、報告します。11節です。前回の箇所では、死人のようになっていた番兵たちが、気を取り直して、なすべきことをします。
 それに対して、祭司長たちは、またしても策を巡らせます。12~14節です。不正を行う時の要素があります。まず、お金です。次に、保証です。心配をかけないようにしよう、と。そして主イエスが復活なさったという事実を隠蔽します。現代においても、政治家・権力者たちを中心に、このような偽りの事柄が溢れています。しかし私達は知っています。全てを支配なさり、最終的に決定なさるのは、父なる神であると。明らかにならないものはありません。一時的には、うまく隠しおおせても、最後の審判のときには、全て明らかになります。そして神が適切に裁きます。それが分かっているので、キリスト教がべースになっている国々では、例えば国家機密費もかなり未来ではありますが、使途が明かされます。日本では、一切表に出ません。戦争に負けたときに、日本では多くの文書が廃棄されたことを思い起こします。嘘や偽りは、真実の意味で物事を解決しません。それどころか、偽りは次の偽りをうみ、私達人間の心もむしばまれていきます。幾つかのエピソードをみましょう…。
 偽りをうむのは、欲(今回の場合は多額のお金)であり、自己保身です。彼らは結局、15節です。私達はこの嘘と偽りのはびこる世界で(そして私達もまた勘違いなどでそれに関与してしまうことはありますが)、主イエスの後に従うがゆえに、偽りに与するのではなくて、真実を正直に生きましょう。