これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年9月20日「恐れるな」(マタイによる福音書28章1~10節)

    前回はお墓を見張る話でした。宗教的指導者たちは、見事に主イエスを亡き者にしました。けれども、それでも不安・恐れを払拭することができません。更に手を打って、そのせいで主イエスの復活の消極的な証人となります。今日の箇所は、(今日はイースターではなくて降誕節第二主日ですが)復活の場面です。尤も、復活そのものの描写は一切ありません。復活なさった主イエスがはじめて出てくるのは、8節です。
最初に出てくるのは、二人のマリアです。1節です。次は主の天使です。2・3節です。天使は福音書によって、一人だったり二人だったりします。が、大切なことは、この場面を具体的に思い浮かべることです。前回出てきた見張りの番兵たち(次回取り上げます)は、何の役割も果たさず、ただ恐れて死人のようになります。4節です。
 天使がはじめて語るのは、「恐れることはない」です。それは、挨拶の後で主イエスが最初に語られる言葉でもあります(10節)。この「恐れるな」という言葉は、旧約聖書の時代から神顕現のしるしです。まず天使の言葉をみましょう。5~7節です。復活の告知、空の墓の確認、そしてメッセージを伴う弟子たちへの派遣です。婦人たちは、恐れつつも喜び、走って行きます。8節です。
 すると、主イエスと出会います。9・10節です。「おはよう」は当時のギリシャ語の挨拶ですが、本来の言葉の意味は「喜べ」であって、ここではその意味も大切です。更に天使の語ったガリラヤのことが繰り返されます。
 最後に今一度、「恐れるな」に注目しましょう。神がここにおられるならば、それは恐るべきことです。そして主イエスは、「世の終わりまで共にい」(20節)てくださるのですから、私達はいつも、「恐れるな」と告げられ続けています。神がおられることの恐れ(神顕現の恐れ)だけではなくて、この世界のあらゆる不安や心配を越えて、「恐れるな」と励まされている私達として、歩みましょう。