これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年8月15日「私の軛(くびき)は」(マタイによる福音書26章14~25節)

 前回は、主イエス殺害の計画とベタニアでの香油注ぎの箇所でした。分からないなりに主イエスを愛して行動するときに、主イエスは喜んでくださいます。
 今日の箇所は、その続きです。前半がユダの裏切りの企てです。香油を注いだ女とは対照的に、裏切る(引き渡す)ということは、主イエスを愛していないことは明らかです。14~16節です。なぜユダが裏切ったのか、様々なことが言われます。ルカでは、単純にサタンが入ったからと言います。お金目当てでというよりは、武装革命を目指していたユダが、主イエスがいつまでも煮え切らないのに業を煮やして、逮捕となれば、神の子としての力を発揮すると期待したというほうが本当らしいです。ただし、マタイもマルコも「なぜ」という問いには答えていません。その問いは、本質的な事柄ではありませんから、関心がありません。神の、そして主イエスの計画通りに、過越の羊として主イエスが殺されるには、権力者たちの計画よりも早く、ユダの行動は必要でした。神は、神を信じる民だけではなくて、神に敵対する者もサタンさえも計画にお用いになります(例えば出エジプトの時のファラオなど)。
 ユダの救いについてもよく問われます。主イエスは仰います。24節です。生まれなかった方がよかった者に救いはあるのでしょうか。ダンテのように、地獄の一番深い所にユダをおくことはよくなされます。しかし私達が覚えておくべきことは、主イエスは十字架に殺されてから黄泉にまで降られた事実です。この事実から、私達はユダの救いの可能性を否定することはできません。
 主の晩餐の制定は次回の記事です。しかし今日の記事で、既にこの食事がはじまっています。主イエスは、この食事にユダも招きます。ユダが自殺して完全に道を閉ざすまで、主イエスは12人の一人としてユダを扱います。裏切り(引き渡し)は事実であり、他の弟子たちも逮捕の時には蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。私達も、ユダとどれだけ違うといえるでしょうか。この裏切り(引き渡し)に勝るものは、ただ主イエスの十字架と復活であって、神の憐れみです。