これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年11月29日「迷い出た羊」(マタイによる福音書18章10~14節)

 今日の羊の例えは、ルカによる福音書にもあります。ルカでは、その後に失われた銀貨の例えと放蕩息子の例えがあります。この三つがセットになって、失われたものが見出される、天の(神の)喜びが表現されています。マタイでは少し短くて、また文脈も異なります。今回はマタイの文脈に沿ってみていきましょう。
 まず最初に述べられていることは、天使のことです。10節です。当時の天使の考え方からすると、画期的なことです。どんなに小さな者にも天使がついているというのですから。偉い人、信心深い人には大勢の天使がついていて、貧しい者、小さい者、取るに足りない者には天使がついていないのだという当時の一般的なものの見方と異なります。
 次に迷い出た羊の例えです。12・13節です。この箇所の天の喜びは、ルカと一緒です。その一匹がとても貴重な羊であったとする外典トマスによる福音書をみれば、この例えの(ひいては天国の)不思議さがよく分かります。為政者など多くの責任ある立場にある方々が、「多数のために少数の犠牲はやむを得ない」という考え方とは真逆のものがここにあります。理性的に考えれば、残りの99匹を放っておいて1匹を探しに行くのは理不尽なことです。しかし神は、そのような理不尽なことをなさってでも、小さな者が滅びる、救われないことを望みません(あなたがたの天の父の御心ではない、14節)。つまずきは避けられない(7節)ととても現実的な厳しいことを仰りつつ、何としてでも「小さい者」を救おうとなさる神の御心を私達は大切にしましょう。この「小さい者」はまさに私のことなのです。