これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2020年6月21日「自分の言葉によって」(マタイによる福音書12章33~37節)

 今日の聖書箇所は、前回の箇所と密接に繋がっています。前回は、ファリサイ派の人々の暴言に対して主イエスが語り始めました。聖霊を冒涜する罪、聖霊に言い逆らう罪だけは赦されることがないと語られました。今日の箇所では、「自分の言葉によって」、最後の審判の時の裁きが決まるのだと語られます。
 まず、木と実の話です。33節です。そして直ちにその意味が語られます。34節です。木が自然にその実をつけるように、人の口から出る言葉は、心にあふれていることが出てきます。嘘や偽り、美辞麗句やお世辞の言葉もあります(取り調べや黙秘の話)けれども、主イエスがここで語っておられるのは、そういうものではありません。自然と出てくる言葉です。(ファリサイ派の人々がベルゼブルの力で…と言ったように)。35節では、善い人が良い言葉を語り、悪い人が悪い言葉を語ります。私達人間は本来、「悪い人間」ですから、悪い言葉しか語ることができません。だから裁きの日には、裁かれるしかありません。最後の、36.37節。
 では私達はどうしたら良いのでしょう。ただ、十字架と復活の出来事にしっかりと立つことです。「自分の言葉によって罪ある者とされる」ほかない私達です。しかしただ、主イエスの十字架による罪の赦しを受け入れて、今共に生きていて下さる復活の主と共に、「今既に」永遠の命を生きるとき、私達の言葉は変わります。ただむなしく消えていく(あるいは悪い結果しか残さない)言葉は消えます。人を力づけ、生き生きと生きる命へと招く「力ある言葉」を語る者とされます。主イエス・キリストの反映として。