これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年5月8日「内に形作られるまで」(ガラテヤの信徒への手紙4章12~20節)

 前回は、せっかくキリスト・福音と出会って解放されたのだから、もう二度と奴隷に戻るな、という箇所でした。もしもガラテヤの人々が奴隷に戻ってしまう(具体的には、キリスト・福音の他に、律法や割礼が大切だと思ってしまう)ならば、パウロのしてきたことが無駄になってしまいます。
 そこで今日の箇所では、パウロがガラテヤの人々に福音を語った、最初の頃を思い出して欲しいと求めます。12~14節です。最初の「私のように」というのは、私達日本人には気恥ずかしくて述べづらいですが、意味はよく分かると思います。パウロは、伝道することが全てで、そのためならば相手のように自分はなるのだといいます。それと同じことを、今度は豊かな信仰の交わりのために、求めています。そして最初の頃、パウロが体が弱くなってガラテヤに行った(細かい・詳しい事情は分かりませんが)時のことを、その時彼らがどれほど豊かにパウロを受け入れてくれたかを語ります。それは、神の使い、キリスト・イエスででもあるかのように受け入れてくれました。
 15節です。この箇所(や別の幾つかの箇所)から、パウロは目の病気だったのではないかという推測が一般的です。それなのに、16節です。パウロは、「福音・キリストだけではだめだ、律法や割礼も必要なのだ」という偽りに対して、「キリストのみ・福音のみ」という真実を語ってしまったために、ガラテヤの人々の敵となったのかと問います。あの者たち(律法や割礼を大切だ、異邦人もそういうものを大切にしなければならないと説く人たち)の動機は、善意からではないとパウロは語ります。17節です。
 パウロは今、ガラテヤに行くことができない、それゆえ、ガラテヤの人々と顔と顔を合わせて語ることができないことで、途方にくれています。最後、18~20節です。何よりもパウロが願っていることは、パウロと同じように、ガラテヤの人々もまた、「内にキリストが形作られる」ことです。私達もこの世界でのキリストに従う戦いを通して、私達の内にキリストが形作られることを願い求めましょう。