これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年2月27日「信仰によって生きる」(ガラテヤの信徒への手紙2章11~14節)

 今日の聖書箇所は、次回と合わせて、パウロがペトロ(ケファ)を非難する箇所です。主に今日の箇所で実際にパウロがペトロを非難した様子が描かれています。次回はその理由・事情を描きます。まず11節で、面と向かって反対したことを語ります。11節です。それは、アンティオキアの教会へペトロが来た時の行動に対してです。12・13節です。ペトロは以前に特別な幻を見て、異邦人と食事を共にすることができるようになっていました(使徒言行録10章9~16節参照)。ユダヤ人の食べ物についての禁忌にも関わらず、です。
 それなのに、ヤコブのもとから来た人々(この人々とヤコブの関係、またこの人々の考え方はよく分かりません)に恐れをなしてしり込みしてしまいます。ペトロにしてみれば、彼なりの配慮だったのでしょう。ユダヤキリスト者たちをつまずかせないために。そしてそれは、一見すると、前回の合意(パウロたちは異邦人へ、ケファたちは割礼を受けた人々のところに行く、9節)に適っているようにみえます。しかしこの場所は、アンティオキアです。異邦人教会です。ペトロの一見正しい配慮は、異邦人キリスト者ユダヤキリスト者とは異なり、二流の亜種のキリスト者だと思わせるに十分なものです。
 だからパウロは批判します。14節です。パウロからみれば、ペトロの配慮は、「福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていない」としか受けとれませんでした。
 私達は、いつも配慮することとまっすぐ歩くこととの間で揺れ動きます。そして配慮する方が争いや諍いがおきないので、そちらに流されがちです。確かに、いつも頑なに「これが正しいのだ」と行動するのも問題があります。いったいどこでどのように、私達は配慮すべき場面と福音の真理にのっとってまっすぐ歩くべき場面を見分けるのでしょう。信仰によって生きる時にだけ、私達は正しく判断できます。次回にそのことをもっと丁寧にみていきましょう。