これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2023年1月29日「祈り続けなさい」(エフェソの信徒への手紙6章18~20節)

 前回にも申し上げましたように、前回(先週)と今日の箇所で一纏まりです。しかしながら、前回の神の武具を身に着けるという箇所も、今日の祈りの箇所もとても大切なので、二回に分けてみていきます。
 前回学んだ神の武具を身に着けることは、敵がこの世界の血肉ではなくて、サタンの策略でありました。そこで私達は、(攻撃であれ防御であれ)神の武具を身に着けてどんな戦いをするのでしょうか。その最初にすべきことが、祈ることです。18節です。前回、神の言葉は無力なものではなくて、力あるものだということをみました。祈りもまた、決して独り言などではなくて、力あるものです。それは私達が自分勝手に祈るのではなくて、霊に助けられて行うことです。自分たちのためだけに祈るのではなくて、すべての聖なる者たちのために祈ります。それは、「絶えず目を覚まして根気よく」あることが必要です。祈りは聞かれます。ただし、「直ちに」ではありません。エジプトでヘブライ人が祈ったとき、その祈りが聞かれるには、80年の歳月が必要でした。
 そして最後に、著者は、自分のためにも祈ってほしいと求めます。19・20節です。なぜなら、著者の戦いこそが、彼らの戦いの最前線だからです。福音の神秘が大胆に示されるところで、神の言葉の力は遺憾なく発揮されます。著者は「福音の使者として鎖につながれています」といいますが、それが何を意味するかは幾つかの可能性がありますが、いずれにせよ、鎖につながれていることがどうでもよいほどに、著者はただ語るべきことを大胆に話せるように願い、また手紙の読み手がそう祈ることを求めます。私達もまたこのことを求め、また祈り続けましょう。