これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年2月24日「満たして下さる神」(フィリピの信徒への手紙4章19・20節)

 次回は結びの言葉ですから、今日の箇所でこの手紙はほぼ終わりです。しかも後半は神への讃歌・賛美ですから、19節がほぼ本文の最後の言葉です。前回は私たちの捧げ物(金銭や財産ばかりではなくて、奉仕や祈りも)がどんなに小さく拙いものであっても、神は香ばしい香りとして受け止めて下さる、神が喜んで下さる、パウロへの贈り物をきっかけにして、そういうことが語られていました。これは大きな恵みです。
 今日の箇所では、私たちの必要なものを全て神が満たして下さるというパウロの確信が語られています。19節。パウロが「わたしの神」と述べる箇所はそう多くありません。勿論「私だけの神」という意味ではなくて、(抽象的な概念としての神ではなくて人格的に自分の関わって下さる)「パウロ自身の神」ということでしょう。この手紙は、獄中書簡であるのと同時に喜びの手紙であるということを何回も申し上げてきました。それはどんなに厳しい状況にあっても、パウロと共にいて下さる神が、パウロを喜びと平和とで常に満たして下さるからです。このことが分かりますと、私たちはこの世界における自分の境遇がいかなるものであっても、喜んで生きることができます(12節参照)。それですから、いままさに迫害の危機にあるフィリピの教会の人々が、必要なものを全て満たして下さる神を知っていることの大切さを最後に今一度確認しています。しかし本当に神は全てを満たしてくださるのでしょうか。神の偉大さ(私たちからはかけ離れた高さ)と神の深く広く大きな私たちへの愛が分かりませんと、この事実も分かりません。私たちの全てが満たされている・完成しているという意味でのシャーローム(平和)は、最後の審判・主イエスの再臨を待たなければなりません。しかし今既に神が満たしてくださること知っているならば、今不安や恐れはなくなります。さあ、新しい一週間も、この神と共に生きましょう。
2019