これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年12月18日「エッサイの根」(イザヤ書11章1~10節)

 今日も聖書日課で聖書箇所を選びましたので、久しぶりに旧約聖書です。今日の箇所は、イザヤ書の中でも最もよく読まれる聖書箇所の一つです。ダビデの父、エッサイの子孫から王、救い主が現れるという預言です。1・2節です。この言葉を私達キリスト教会は、主イエス・キリストのことだと読みました。この方には、主の(神の)霊がとどまります、ダビデがそうであったように。そして公正な裁きを行います。3~5節です。私達普通の人間の限界は、目に見えるところ、耳にするところです。たとえ裁判官といえども、この点では私達市井の人間と全く同じです(だから、取り返しのつかない死刑制度は問題です)。まだ神の霊に満たされていたはずのダビデでさえ間違いを犯します。しかし主イエスはそうではありません。正当な裁きを行い、貧しい人を公平に弁護します。
 イザヤはそこまで語った後で、終末の様子を語ります。6~9節です。ここでは、弱肉強食のような自然法則は無視されています。それを問題視する方々もおられますが、神の全知全能を知っていれば、問題にはなりません。将来実現する事柄として、私達はこのような現実を思い描くことができます。
 今主の降臨を待つアドベントにあたって、私達は主イエスとこの終末の出来事をどのように結び付けて読むことができるのでしょう。やはり主イエスのご降誕(そして十字架と復活)によって、イザヤの描いたような終末は既にはじまっている、しかしその完成は再臨の時を待つのです。今日からはじまりましたアドベント最後の一週間、主が再び来てくださることを心待ちにしつつ、過ごしましょう。