これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年11月6日「神への感謝に生きる」(エフェソの信徒への手紙5章15~20節)

 5章に入りまして、前々回は、愛によって歩むことでした。前回は「光の子として歩む」ことでした。そして今日の箇所で、神に感謝して生きることです。こうして、一連の勧告が終ります。次回から6章にかけて、妻と夫、子と親、奴隷と主人という仕方で、もっと具体的な人間関係における教えに入っていきます。
 まず、15節です。この箇所だけをみますと、萎縮してしまうような、縮こまってしまうような感触があるのではないでしょうか。救いへの確信がないと、ここでも律法主義的に、「こうでなければならない」的な考えが出てきます。しかしそうではありません。次の16節は、前後との繋がりが悪く、後の挿入ではないかと考えられますが、二千年前も今も、悪い時代ではあるのかもしれません。次に17節です。大切なことは、細かいことそのものではなくて、この「主の御心」です。他者に気を配りすぎるあまり、肝心の主の御心を見失うわけにはいかないのてす。
 18節では急にもっと具体的な話になります。18・19節です。古来、酒に酔うエクスタシーと、霊に満たされて神をほめたたえるエクスタシーとが対比されてきました。私達は福音派の方々のような熱狂的な賛美からは遠いのですが、それでも賛美において私達の心が踊る、そういう体験を知っているのではないでしょうか。
 この箇所で求められているのは、細かいことばかり気にする神経質ではなくて、神の御心を求めて、神への感謝に生きる、そのような供え物としての私達の生きる姿なのではないでしょうか。