これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年8月7日「私達の平和」(エフェソの信徒への手紙2章11~22節)

 今日は平和聖日です。そして今日の聖書箇所は、キリストが私達の平和であると語っています。次回も同じ聖書箇所ですので、全体的な話は次回にします。今日は、「キリストは私達の平和」ということに集中します。
 この「平和」には、狭い意味と広い意味の二つがあります。まず、狭い意味をみましょう。それは、ユダヤ人と異邦人の間の平和です。ユダヤ人は、割礼を受けた神の民です。異邦人は、割礼のない者、神の民でない者、まるで神なきがごとくに生きる者です。両者の間には、敵意という隔ての壁がありました(14節)。しかし今や、キリストが私達の平和となって、隔ての壁を取り壊してくださいました。14~16節です。両者を一つの体として神と和解させてくださいました。キリストの十字架こそが、敵意を滅ぼしました。だから、私達はキリストへの信仰によって、一つの体・教会となって、共に歩むことができます。エキュメニカル運動は、教派の違いを越えて歩む私達の具体的な現れです。
 これが今日の箇所で述べられている平和の狭い意味です。もう一つの広い意味をみましょう。キリストにおいて実現した平和、平和の福音(17節)とはどのようなものでしょう。まず、18節です。御父に近づきます。父なる神は、善人にも悪人にも雨を降らせ太陽の恵みをくださる方です。とすれば、私達もそういう者たちに育てられていきます。それは、とても困難な面もあります。例えば、理不尽なあくばかり行う独裁者のことを思い浮かべればすぐに分かります。ヒットラープーチンなどです。私達は、「神よ、彼らを裁いて罰してください」と祈りたくなります。しかし私達は、彼らが悔い改めて悪をやめ、まっとうな政治を行うように祈ります。さあ新しい一週間、平和をこそ、携えていきましょう。