これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年7月31日「善い業を行って歩む」(エフェソの信徒への手紙2章1~10節)

 エフェソの信徒への手紙講解説教は、今日で三回目です。今日の箇所では、信仰に入る以前と今とを比べています。まず、以前のことが語られています。1~3節です。「空中に勢力を持つもの」という古代的な表象が用いられています。しかしそれは、「この世を支配する者」であり、また「不従順な者たちの内に今も働く霊」と言い換えられています。そう考えれば、意味が分かると思います。私達自身については、過ちと罪を犯していました。それは、欲望の命ずるままに生活するということであり、神の意志とは真逆なのですから、神の怒りを免れることはできません。
 4節の「しかし」で話は、「今」になります。4~7節です。ここで大切なことは、主語は神であって私達ではないことです。私達の救い(キリストと共に生きること、キリストと共に復活させられたこと、天の王座に付かされたことなど)は、神の豊かな恵みによります。私達はこの救いの出来事の主語にはなりえません。
 ですから、8・9節です。誰も誇ることがないように、私達の行いによるのではなくて、私達の力によるのではなくて、神の賜物です。恵みにより信仰によって救われました。ですから、結論として、10節です。私達の創造の目的が描かれています。私達が善い業を行って歩むのは、そもそも神の創造の目的だからです。私達が何か善い志をもって善い業を行うのではありません。この善い業を行うのは、救われるためではありません。救われた私達の自然な姿です。さあ新しい一週間、無茶な努力目標として「善い業」を行おうとするのではなくて、自然な姿、神の造られた姿として、善い業を行って歩みましょう。