これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年10月30日「光の子として歩む」(エフェソの信徒への手紙6章6~14節)

 前回は、神に倣う者となりなさい、でした。それは、愛によって歩むことです。この文脈の中に、今日の聖書箇所の「光の子として歩む」ことも入っています。それが語られているのは、8節です。まずこの手紙の著者は、あなたがたは光となっている、と、宣言します。私達が光の子として歩むのは、やはりここでも、何か無理な努力をすることではありません。既に光なのだから、自然なこととして、光の子として歩む・生きるのです。ここで光と闇との対比が描かれていますが、このような二分法は、分かりやすいというメリットがあります。しかしまた同時に、現実は実際はとても複雑(黒でも白でもなので灰色の部分が多い)なので、様々な事柄を見落としてしまうことになりかねません。光か闇か、神かサタンかというモノの見方は、いかがわしい新興宗教マインド・コントロールにもよく使われます。だから私達は気を付ける必要があります。しかしこのような二分法でしか説明できないものもあります。6・7節を心にとめましょう。
 そして光においてこそ、すべてが明らかになります。9~14節にある通りです。14節、今日の聖書箇所の最後の鍵括弧の部分は、洗礼を受ける際の定式だと考えられています。完成するのは終末・再臨、最後の時を待たなければなりません。しかし洗礼を受けてキリストのものになることは、この、死者の中から立ち上がることが既にはじまっています。光の子としての自覚をもって新しい一週間を歩みましょう。