これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年4月17日「神に対して生きる」(ローマの信徒への手紙6章3~11節)

 イースター、おめでとうございます。
 今年は、ウクライナミャンマー、また新型コロナは未だにおさまらず、素直に復活を喜び祝うことができるかんじではありません。しかしながら復活の喜びは、どんな危急の時、困難な時も喜ぶことのできる特別な喜びであることを、今日の聖書箇所から今一度確認しましょう。今日は、イースターですから、普段の講解説教を一回お休みして、聖書日課で指定されているローマです。
 今日の聖書箇所は、「それとも」ではじまっています。3節です。これは、罪が大きいほど恵みも大きいというパウロの意見に対して、それならば、罪の中にとどまるほうが良いのではないかと、ねじくれた意見を言う人々がいました。パウロは、決してそうではないと否定します。なぜなら、私達はもはや罪の中に生きることはできないからです。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたのであるならば、それは、キリストの死にあずかるためでもありました。
 4・5節です。洗礼によってキリストと共に葬られ、キリストの死にあずかる者となりました。それは、キリストの復活と同じく、私達も新しい命に生きるためです。私達は復活の姿にあやかります。
 私達は、罪に対して死んでいて、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きています(11節)。私達はこの地上における死を恐れる必要はありません。たとえ地上において死ぬとしても、その死を越えて、私達はキリストと共に、神に対して生きるからです。それでは神に対して生きるとはどういう生き方でしょうか。(今日の聖書箇所を越えてしまいますが)、自分の体を罪に支配させず、神に献げる生き方です。この手紙では、12章以降にそのことが丁寧に描かれています。困難な世界で、私達は復活のキリストと共に、この世界での命だけを奪うことのできるまがまがしい力とそれぞれの仕方で戦っていきましょう。