これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年4月24日「アッバ、父よ」(ガラテヤの信徒への手紙4章1~7節)

 今日は説教題を「アッバ、父よ」としました。しかしこれはこの箇所全体の中心となるメッセージではありません。この箇所でパウロが語りたいことは、あなたがたはもはや未成年や奴隷ではなくて、相続人だということです。
 まず1・2節です。日本では最近成人年齢が変わりました。しかし当時のローマでは、父親が期日を定めたようです。その期日までは、全財産の所有者であっても監督の下にあります。3節、私達も同じです。ユダヤ人が律法の下にいたように、異邦人は世を支配する諸霊に奴隷として仕えていたのだ、と、パウロはいいます。この諸霊とは、様々な諸宗教のことを指します。しかし現代のように神々をないがしろにする時代には、まるで神のように振る舞うすべてのものを指していると考えるとよいでしょう。お金、権力、権威、様々な事柄があります。
 4、5節です。また急に律法の話に戻ったようですが、ユダヤ人も異邦人も、養育係の下にあった(奴隷のような状態であった)という点では同じです。イエス・キリストが生まれて、私達を神の子となさいました。そしてそのことの証拠として、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子(キリスト・イエス)の霊を私達の心に送ってくださいました。私達の内に御子の霊があり、私達が「アッバ、父よ」と叫ぶ事ができることこそ、私達が既に神の子である証拠です。だから、7節です。私達は、子であり相続人です。だから私達は、「何か」の奴隷のように振る舞うべきではありません。自由な身分の者として、自由に神に呼びかけ、神に従うのです。