これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年10月23日「神に倣う者となれ」(エフェソの信徒への手紙6章1~5節)

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 今日の聖書箇所のテーマは、神に倣う者となりなさい、です。この「倣う」ということで私達がまず思い出すのは、イミタチオ・クリスティ(キリストに倣う)という書物・標語です。多くのキリスト者に多大な影響を与えたこの言葉について、今日は考察する暇はありません。ただ、この「倣う」ということが、極めて大切なものであることは確かでしょう。様々な技術・技能の習得において、古来、倣うということは大切にされてきました。現代における例えば寿司を握る学校ができたり、科学技術の進歩などで、古い技術が役に立たなくなったりという変化はあります。しかしそれでも「倣う」ということはとても大切なことでしょう。
 ただし、「神(キリスト)に倣う」というときには、この世界の「倣う」とは決定的に異なることがあります。それは、私達は決して神にはなれないことです。職人が倣う、親方を弟子が真似をするような時には、最終的な目標は親方のようになる、あるいは親方を越えることです。しかし、私達が神に倣う時には、神の子(属する者)に相応しい者になろうとします。1節です。神に愛されている子どもになれるように頑張るというのではありません。既に、神に愛されている子どもだから、倣うのです。
 それは、もっと具体的にいうと、愛によって歩むことです。2節です。ここでお手本になるのは、キリストです。キリストは、私達のためにいけにえとしてご自身を献げてくださいました。それをお手本として、私達は愛によって歩みます。それこそが、キリストと神との国を受け継ぐことになります。3・4節です。聖なる者に相応しくないものを捨て去り、ただ感謝を表します。私達は、キリストの十字架と復活のゆえに、救われた私達自身のことを神に感謝して生きます。