これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022年10月16日「赦し合う生き方」(エフェソの信徒への手紙4章25~32節)

 前々回、愛によって、ということが語られました。前回は、「心の底から新たに」されることでした。今日の箇所では、それに基づいて、キリスト者同士の隣人との係わりについて語られています。
 それは何よりもまず、真理を語ることです。25節です。真実ですから偽りでないのは確かです。しかしそればかりでなくて、正義中毒にみられるような、正義の刃を振りかざして他者を傷つけることとは、正反対のことです。29・30節です。これは、「塩で味付けられた言葉を語りなさい」(コロサイ)と同じことでしょう。正しいだけで、相手を非難し切り裂くような言葉は、求められていません。それは悪い言葉にすぎません。その逆で、聞く人に恵みが与えられるような、その人を造り上げるのに役立つ言葉が求められています。悪い言葉、ただ相手を責める言葉は、神の聖霊を悲しませるだけです。
 それでは私達はいつもびくびくして、聖霊を悲しませないようにばかり気を配るべきなのでしょうか。断じてそうではありません。聖霊による保証を信じて、極端にいえば、「大胆に罪を犯せ、そして大胆に悔い改めよ」です。確かに私達はいつも正しい(浅はかな意味ではなくて、深い意味での)言葉を語ることができるわけではありません。過ちを犯します。しかしそれでも、聖霊は、キリスト者である私達を保証してくださいます。
 具体的な勧めは、例えば、26~28節です。私達は人間として(一部の方を除けば)心に怒りを抱いてしまうこともあります。しかしそれ自体が問題なのではなくて、怒りから罪を犯してしまうこと、怒りをもち続けることが問題です。盗む人ではなくて、困っている人々に手を差し伸べます。
 それですから、大胆にも勧めることができます。31・32節です。ここでも無理な勧告がされているのではありません。ただ、聖霊に保証されている者として、私達はそのように行動します。