これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2016年11月20日「福音の初め」マルコによる福音書1章1~8節

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 先週でテサロニケの信徒への手紙一の講解説教は終わり、今日からマルコによる福音書に入ります。教会の暦の上では、今日が一年の最後の主日、来週がアドベント(待降節)に入り、新しい一年がはじまります。この今日と次回の二回にわたって、この福音書の一番最初をみてみましょう。
 最初の一節は、この福音書全体の表題です。この表題から既に、マルコの信仰告白になっています。「イエス・キリストは神の子である」。四つの福音書の中で最初に書かれたマルコ福音書は、マタイやルカ(この三つを共観福音書といいます)のように、誕生物語を一切記すことなく、公生涯に集中します。恐らく当時、世代が移ると共に、主イエスと共に実際に行動した人々が減っていきました。だから、(終末・再臨がなかなか来ない中で)、公生涯をきちんと記録しておく必要を感じたのでしょう。マタイやルカは、マルコ福音書(今私達が読むものとは多少異なるかもしれません)を手元にもっていて、自分たちの福音書を編んだと考えられています。
 公生涯に集中したマルコが(それゆえ主イエスの伝記では全くなく、幼い頃のエピソードなどは全く書かれず、また受難・十字架の出来事に多くの部分を費やす)、どうしても公生涯の前に書かなければならないと思ったのが、バプテスマのヨハネのことでした。それも他の福音書に比べると短く、最小限です。まずイザヤを引用します。2・3節。この預言の通りに、ヨハネは現れ、主イエスの道備えとして、多くの人々が罪を告白して洗礼を受けました。5節。洗礼そのものについては、次回(来週)みますが、洗礼にどうしても必要な事柄として、罪を告白すること、悔い改めがあります。私達もマルコ福音書を学び味わいつつ、信仰の原点である悔い改めを思い起こしましょう。