これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2016年12月4日「天が裂けて」マルコによる福音書1章9~11節

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 今日でマルコによる福音書も三回目、二番目の聖書箇所です。教会の暦の上では、今日からアドベント(待降節)第二週です。御子のご降誕への備えの季節、御子イエス・キリストの公生涯の最初の所を学ぶのも時宜に適っています。マルコが、洗礼者ヨハネの出来事の後で、最初に主イエスの記事を書くに当って選んだ出来事は、主イエスが洗礼を受ける場面でした。9節。マタイやルカのように、このときの洗礼者ヨハネの躊躇や詳しい解説は一切描かないで、マルコはまっすぐ主イエスがヨハネから洗礼を受けたこと、その時どんな出来事があったのかだけを描きます。ヨハネ教団と主イエスの関係について、様々な推測がなされますが、私達はただ描かれていることに注目しましょう。
 10・11節。この箇所を読むのに、とても参考になります旧約聖書箇所は三つあります。創世記22章(イサク奉献)、詩編第二編(王即位の歌)、そしてイザヤ書42章(神の僕の歌の一つ目)です。最初の表題(1節)に呼応して、「わたしの愛する子」という声が聞こえます。(ここでもルカやマタイのように、客観的事実としてではなく、主イエスの体験として描かれます。)前回、霊による洗礼ということで、主イエスが授ける洗礼がそれまでの沐浴やヨハネの洗礼と異なり、神の霊、キリストの霊がその人の内に与えられる出来事であるということをみました。まさにその最初の方として、主イエスが描かれています。これはとりもなおさず、主イエスは、神であること、神の子であることに固執しないで(フィリピ2章6節~)、私達の只中に洗礼を受ける方として来てくださったということです。私達罪人と同じ(罪は一つもおかしておられないのに)人間になって下さいました。そして洗礼を受けた時に、「天が裂け」ました。主イエスが十字架に死んだ時に、神殿の垂れ幕が裂けたのと呼応して終わりの時がはじまりました。