これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年2月10日「苦しみを共に」(フィリピの信徒への手紙4章12~17節)

 今日は特に、14節を中心にみていきましょう。前回申し上げましたように、10~20節は、「感謝なき感謝」と言われますように、直接的な感謝の言葉はありません。しかしパウロは、単純に感謝を述べるよりも、更に深いことを語っています。その一つが14節です。苦しみそのものの意義については、既に1章29節で語られていました。(キリストのために)苦しむことさえも恵みとして与えられています。その苦しみとは、伝道・宣教の戦いの苦しみ、福音・キリストのために戦う苦しみです。今日の箇所では、この苦しみが、更に経済的に負担を負うことにも広げられています。今回のパウロの投獄以前にもフィリピの教会の人々は、パウロの宣教の業に協力して贈り物を送っていました。15・16節にある通りです。その贈り物をパウロは、苦しみを共にしてくれたことなのだと捉えます。教会への献金について語る時によく言われることは、自分の生活に何の影響もないような少額(もちろん、金額の多寡のことではなくて割合です)、苦しみに全くならないような額ではだめなのだといいます。もちろん、キリスト教・教会においては、「全てが自由」(一コリント10章23節)なのですから、「こうでなければならない」ということは全くありません。が、昔から、(ユダヤ教に倣って)教会でも収入の十分の一を献げるという考え方があります。これは一般的にいって、きちんと負担にはなるけれども生活が破綻することはない、知恵に富んだやり方でしょう。フィリピの教会の人々は、そのような十分の一献金とは別に、パウロの宣教活動のために贈り物をしました。これは、パウロと共に苦しむことです。苦しみの連帯は強い絆をうみます。さあ私たちも強制されてではなくて自主的・主体的に様々な宣教の業の何かに関わっていきましょう。