これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年4月8日「信じなかった」(マルコによる福音書16章9~13節)

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 今日は、前回の続きの箇所です。次回から講解説教に戻ります。前回丁寧にお話ししましたように、本来のマルコ福音書は8節までで終わっています。しかし結びがないということで、9節以下が書き足されました。ただし、好き勝手に誰かが書いてみたのではありません。既にそのころ、主イエスの復活の話として広く知られていた出来事から、この記事を書いた人が特に強調しようとしたことを加えました。例えば一つ目の記事、9~11節では、16章1節からの記事に出てくるマグダラのマリアが、まるでここではじめて出てくるかのように紹介されています。前の記事では三人いたので、一人を紹介するのは不自然であったけれども、この箇所ではマグダラのマリアだけが出てくるので9節後半のような紹介をしたのだと読むこともできます。9節。しかし別の記事であったと読む方が自然でしょう。10節。彼女は、きちんと知らせました。しかし、悲しみに閉ざされた人々は彼女の言うことを信じません。11節。
 更に、明らかにルカによる福音書のエマオへの途上での出来事の要約と思われる記事です。12・13節。ここも信じないという結果に終わっています。ルカでは異なる形になっていますので、この「信じなかった」ことが、この付加の特徴・付け加えたかったことです。「信じなかった」。全体の結論は、14節以下の記事、主イエスが不信仰とかたくなな心をおとがめになったこと、そしてその後の出来事をみなければなりません。しかしこの箇所までで読んで分かることは、最初の弟子たちの復活の告知に対する反応は、「信じなかった」ことです。自分に現れるまでは信じることができません。私達もそうではないでしょうか。(目には見えなくても)復活なさって今も生きておられる主イエスと出会って、私達は信じる者にして頂きます。その信仰すら、私達が自分の力でなすものではなく、与えられます。