これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年2月14日「エルサレム入城」(マタイによる福音書21章1~11節)

 今日はいよいよエルサレム入城です。私たちは講解説教ですが、教会歴に従って聖書箇所を決める教会では、この記事は年に二回読まれる可能性があります。一つは棕櫚の主日であり、いま一つは待降節第一主日(教会の暦の上で一年の最初の日)です。今週の水曜日が灰の水曜日で、受難節になります。本当はせめて、受難節になってから読みたかったのですが、灰の水曜日に備えて、この記事を読みましょう。
 今日は三つのことだけに注目したいと思います。まず第一にろばの話です。マタイでは、母ろばと子ろばになっています。これは、主イエスエルサレム入城が旧約聖書の預言する通りであったことをより明確に表現するためでしょう。そしてそれよりも大切なことは、「王」に相応しい強くて立派な馬ではなくて、聖書の預言の通りにろばであったことです。これはこの世界の多くの王と異なり、主イエスは柔和な方だということを示しています。
 そして二番目に注目したいことは、群衆です。私たちは、この群衆が、宗教的指導者たちに煽動されて「十字架につけろ」と叫ぶことを知っています。服や枝を敷いてお迎えするのは、まさに王を迎えることです。群衆には大きな誤解(主イエスがローマの植民地支配からイスラエル・神の民を解放する)に基づく、大きな期待がありました。その期待が主イエスの逮捕によって裏切られたと感じたからこそ、「十字架につけろ」になったのです。
 そして第三に・最後に、このような無理解の群衆の(一人ひとりの)ために、主イエスは十字架への道を進まれるのだということです。私たちは、今は二千年経ってこの群衆と同じ誤解や期待の中にはありません。しかし私たちもまた、私たち自身の自分勝手な期待で、主イエスを捉えようとしてはいないでしょうか。私たちに求められているのは、自分の身勝手なキリスト期待に抗って、主イエスを真実の王として受け入れ、この王に仕える日々を形作っていくことではないでしょうか。