これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2021年4月18日「二つの掟」(マタイによる福音書22章34~40節)

 今日の二つの掟こそが大切なのだという話は、共観福音書全てで出てきます。しかしそのあらわれ方がそれぞれに特徴的です。マタイの特徴は、34・35節に出てきます。きっかけははっきりしています。主イエスが復活問答でサドカイ派の人々を言い込められたと聞いたからです。そして、彼らファリサイ派の人々は、「試そうとして」主イエスに尋ねます。この「試す」は、主イエスが荒れ野で誘惑を受けられたときに、「試す者」としてでてきた悪魔であり、彼らファリサイ派の人々がもはや悪魔的になっています。このような思いの究極にあるのが、十字架です。神の子を殺してしまいます。
 質問の中身自体は、まっとうなものです。36節です。そしてそれに対して、主イエスはまっすぐに答えます。38・39節です。この二つの掟の話は、教会に来ると、まだ洗礼を受ける前であっても、すぐに耳にする基本的な事柄ではないでしょうか。今日はこのことについて、三つのことだけを申し上げましょう。
まず第一に、どんなに掟がたくさんあろうと、全てはこの二つに要約されるのだということです。それは言い換えれば、外側から人間を縛りつける細かいきまりはどうでもよい、その精神の中心において、神を愛し隣人を愛することが大切です。
 第二に、中身に関して、神を愛し隣人を愛するときに、「自分のように」と述べられていることです。最近はよく、自分を愛することもできない人間が他者を愛することなどできるかという議論がされるようになりました。確かに、自分を滅して他者を愛するのではなくて、自分のように隣人を愛することが大切です。
 では、最後に、第三に、どのようにして、それ(神を愛し自分を愛し隣人を愛すること)は可能なのでしょうか。まず神が私(達)を愛してくださっている、この事実に基づくときにだけ、私達は、そのように生きることができます。そしてこの神の愛は、何よりも十字架と復活によって示されており、そのことが分かると、私達は私達自身の日々の暮らしの中で、神がどれほど自分を深く広く豊かに愛して下さっているかが分かる、神における自分の価値の大きさを知ります。