これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2018年1月7日「命の水の泉から」(ヨハネの黙示録21章5~7節)

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 今日は、新年最初の礼拝ですので、ローズンゲン(日々の聖句)の年の聖句に聴きます。6節です。「渇いている者には、わたしが命の水の泉から価なしに飲ませよう。」最初に日々の聖句 288版の序を紹介しましょう…。
 本来は1節から8節までで、一纏まりなのですが、今日はこの聖句に集中するために短く区切りました。この箇所で、今までヨハネがみてきた幻が、新しい天と新しい地とに集約されていきます。そこでは、神が人と共に住んで(3節)くださり、もはや死も悲しみも嘆きも労苦もありません(4節)。そのような終末の幻と共に、ヨハネは神ご自身の言葉を聞きます。5節。この箇所から分かることは、神が万物を新しくするのであって、今現在存在するもの全ての否定ではないことです。この世界の価値あるものは、否定されるのではなくて、新しくされます。そして神は、黙示録全体が、信頼できる真実のものであることを確証します。次の6節では、前半で神が全てのはじまりであり終りそのものであられることが宣言されます。だからこそ、今年の年の聖句です。この「渇いている者」こそ、現代において、最も問題・課題であることではないでしょうか。人類は、様々な負の遺産を持ちつつも、確かに豊かになりました。日本のようないわゆる先進国では特にそうです。しかし、「死にたい」という多くの若者が、事実、いる。これは、「生きたい」、「渇きを癒されたい」ことの、反語的表現です。
 私達は、この終末の喜びを既に今、先取りして生きる事が許されています。7節。神との親しい関係に生きる。このことが完全に明らかになるのは、ヨハネが見た幻の時、終末の時を待たなければなりません。しかし確実な将来は既に今、私達に与えられています。さあ新しい一週間、新しい一年、渇きにあえぐ私達に「価なしに」飲ませて下さる神の恵みを生きましょう。