これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2019年1月13日「広い心を」(フィリピの信徒への手紙4章4・5節)

 今日からまた、フィリピの信徒への手紙の講解説教に戻ります。前回の箇所では、二人の女性指導者の間の争い・不一致・不和の問題でした。今日の箇所では、もっと一般的な勧めです。4節。この「喜ぶこと」については、既に何回もこの手紙では扱われてきた勧めです。「主において」と「常に」の二つのキーワードに基づいて少しだけ振り返りましょう。私たちキリスト者の生においては、様々な困難や試練はあるけれども、主イエス・キリストの十字架と復活に基づく喜びが常にあるのだ、これこそ私たちの生の基底をなすものです。
 そして、5節前半。「広い心」は、以前の文語・口語訳聖書では寛容、また新しい翻訳では、寛容な心です。元のギリシャ語では、寛容よりも意味の幅が広い言葉です。寛容と言いますといつも思い出しますのは、自衛官合祀訴訟ではないでしょうか。そこでは、少数者・弱者に対して、多数派が寛容を求めるという、とても醜い日本の司法の、残念なあり方がはっきりと分かる判決でした。この寛容について思い巡らせるときにも、私たちはやはり主イエスの姿を思い起こしましょう。一つには、主イエスは律法学者やファリサイ派の人々に対しては、とても厳しいことを仰います。その一方で、例えば姦通の女には、「罪に定めない」と、寛容です(ヨハネ8章)。そこにあるのは、罪や罪を罪と認めないことに対しての厳しさと、罪人に対する赦し・寛大さです。私たちがもともと心が広い・寛容だなどというのではなくて、ただ主と出会い、主の寛容さに包み込まれた私たちとして、私たちもまた広い心で、寛容に他者と接することができます。5節後半。主は、空間的にも時間的にも近い。だから、私たちはこの主と共に広い心で生きましょう。