これまでの説教

日本基督教団幕張教会 早乙女哲自牧師

2022-01-01から1年間の記事一覧

2022年5月29日「愛の実践を伴う信仰こそ」(ガラテヤの信徒への手紙5章2~6節)

前回、パウロは、アレゴリカルな解釈の結論として、私達教会は、自由な身の女から生まれた子どもです。だから、二度と奴隷に戻らないで、自由を生き抜くこと、そのために「しっかりする」ことが求められていました。 今日の箇所で、パウロは断言します。割礼…

2022年5月22日「自由を得させるために」(ガラテヤの信徒への手紙4章28~5章1節)

前回は、現代の私達には少し分かりづらいかもしれない、アレゴリカルな解釈でした。今日はその結論の部分です。28節です。教会は、従来のイスラエルが奴隷の子であるのと異なり、約束の子です。次に、29・30節です。イシュマエルとイサクの関係につい…

2022年5月15日「二人の女、二つの契約」(ガラテヤの信徒への手紙4章21~27節)

前回は、自分の内にキリストが形作られることを願い求めることの大切さをみました。パウロは、自分がガラテヤに行ったときのことを思い出させて、「律法と割礼が大切だ」という考え方は、パウロの伝えた福音を台無しにするのだと主張します。 今日の箇所では…

2022年5月8日「内に形作られるまで」(ガラテヤの信徒への手紙4章12~20節)

前回は、せっかくキリスト・福音と出会って解放されたのだから、もう二度と奴隷に戻るな、という箇所でした。もしもガラテヤの人々が奴隷に戻ってしまう(具体的には、キリスト・福音の他に、律法や割礼が大切だと思ってしまう)ならば、パウロのしてきたこ…

2022年5月1日「奴隷に戻るな」(ガラテヤの信徒への手紙4章8~11節)

前回、私達はもはや奴隷ではない、子であり、神の相続人なのだという箇所でした。そのことは、私達の中に、「アッバ、父よ」と叫ぶキリストの霊が与えられていることから分かります。 ところが、ガラテヤの人々は、割礼を受けたり律法を守ったりすることで、…

2022年4月24日「アッバ、父よ」(ガラテヤの信徒への手紙4章1~7節)

今日は説教題を「アッバ、父よ」としました。しかしこれはこの箇所全体の中心となるメッセージではありません。この箇所でパウロが語りたいことは、あなたがたはもはや未成年や奴隷ではなくて、相続人だということです。 まず1・2節です。日本では最近成人…

2022年4月17日「神に対して生きる」(ローマの信徒への手紙6章3~11節)

イースター、おめでとうございます。 今年は、ウクライナやミャンマー、また新型コロナは未だにおさまらず、素直に復活を喜び祝うことができるかんじではありません。しかしながら復活の喜びは、どんな危急の時、困難な時も喜ぶことのできる特別な喜びである…

2022年4月10日「キリストを着て」(ガラテヤの信徒への手紙3章26~29節)

今日の聖書箇所、特に28節前半は、この手紙の中でも一番よく知られた箇所ではないでしょうか。28節をみましょう。まず様々な違いがない(ユダヤ人とギリシア人、奴隷と自由な身分の者、男と女)ことの根拠は、キリスト・イエスにおいて一つだからです。…

2022年4月3日「養育係」(ガラテヤの信徒への手紙3章21~25節)

「養育係」というのは、私達の文化にはあまりなじみがないので、分かりにくいかもしれません。パウロは前回までの箇所で、律法ではなくて約束によって、ということを丁寧に述べてきました。そうすると、当然出てくる疑問として、では律法とは何の意味がある…

2022年3月27日「ただ約束によって」(ガラテヤの信徒への手紙3章15~20節)

パウロはまず、分かりやすく説明すると申します。15節前半ですね。しかし私達からみて、ここのパウロの説明が分かりやすいかどうかは、微妙なところです。まずパウロは、世俗の遺言(元のギリシャ語で遺言と約束・契約は同じ言葉)の話をします。15節後…

2022年1月16日「誰がアブラハムの子か」(ガラテヤの信徒への手紙3章7~14節)

今日の聖書箇所は、前回最後の6節からきています。アブラハムは神を信じた、そのことで彼は義と認められました。するとどうなるのか。 7節です。誰がアブラハムの子かということが問題になっています。もともとヘブライ語の「子」は様々な意味があります(…

2022年3月13日「一つだけ」(ガラテヤの信徒への手紙3章1~6節)

今日の聖書箇所は、勿論前回までの聖書箇所に繋がっているわけですが、かなり厳しいことが語られています。1節です。問題は、福音か律法か、です。そして異邦人キリスト者にも、「十字架につけられた姿」がはっきりと示されました。にもかかわらず、そのよ…

2022年3月6日「ペトロを非難する」(ガラテヤの信徒への手紙2章15~21節)

今日の聖書箇所は、前回と合わせて、パウロがペトロ(ケファ)を非難する箇所です。主に前回の箇所で実際にパウロがペトロを非難した様子が描かれていました。今日は、その理由・事情を描きます。 まず15節から、一人称が「わたしたち」になります。これは…

2022年2月27日「信仰によって生きる」(ガラテヤの信徒への手紙2章11~14節)

今日の聖書箇所は、次回と合わせて、パウロがペトロ(ケファ)を非難する箇所です。主に今日の箇所で実際にパウロがペトロを非難した様子が描かれています。次回はその理由・事情を描きます。まず11節で、面と向かって反対したことを語ります。11節です…

2022年2月20日「福音の真理が」(ガラテヤの信徒への手紙2章1~10節)

今日の聖書箇所は、前回の出来事から、14年経っています。1節です。パウロは、バルナバと共にテトスも連れて行きました。ただしそれは、エルサレムから呼び出されて出頭したのではありません。2節です。この「啓示」が具体的に何を指すのかは、分かりま…

2022年2月13日「パウロのことで」(ガラテヤの信徒への手紙1章18~24節)

今日の聖書箇所は、前回申し上げましたように、前回の箇所と一纏まりです。パウロの改心後のことが描かれています。11・12節の言葉を裏付けるようにパウロは語ります。前回の最後に、パウロは、ダマスコに戻るまでの様子を簡単に書きました。16節後半…

2022年2月6日「母の胎内にあるときから」(ガラテヤの信徒への手紙1章11~17節)

今日の聖書箇所は、本来24節までで一纏まりです。しかし長すぎるので、今日は段落の変わる17節までにします。最初の2節で、前回の箇所に続くような、福音の由来が語られます。11・12節です。人から受けたのではなくて、イエス・キリストの啓示によ…

2022年1月30日「他の福音などない」(ガラテヤの信徒への手紙1章6~10節)

前回申し上げましたように、最初の挨拶の後には、普通、謝辞がきます。しかしこのガラテヤの信徒への手紙ではかなり厳しい言葉が続きます。6節です。「あきれ果てる」は、「驚く」とも訳すことのできる言葉で、当時の文学様式としては用いられていました。…

2022年1月23日「私達を救い出すために」(ガラテヤの信徒への手紙1章1~5節)

今日は、前回と同じ箇所です。前回は、1・2節に集中しました。今日は3~5節です。3節は多くの手紙でみられるふつうの祝福の言葉です。恵みと平和を宛て名人の方々のために求めます。 ふつうの手紙と異なるのは、4・5節です。まず4節で、主イエスが何…

2022年1月16日「使徒とされたパウロ」(ガラテヤの信徒への手紙1章1~5節)

今日から、ガラテヤの信徒への手紙の講解説教です。パウロの真正の手紙は、一番少なくみる方で7つあると言います。その内の一つがこの手紙です。今日は一回目ですので、緒論的なお話しをしてもよいのですが、そういうことは省きまして、本文をみていきまし…

2022年1月9日「いつも共にいる」(マタイによる福音書28章16~20節)

今日はマタイによる福音書講解説教の最終回です。前回(12月の最後)は、この同じ箇所から、「疑う者もいた」(17節)ということに焦点を当てて語りました。今日は、後半、特に最後の「いつもあなたがたと共にいる」に焦点を当てます。 まず、その前のい…

2022年1月2日「決して追い出さない」(ヨハネによる福音書6章34~40節)

今日は新年礼拝です。例年通り、日々の聖句(ローズンゲン)の年の聖句を聴きましょう。最初に「序」を紹介します。…。 今年の年の聖句は、私達は、神によって、喜んで迎えられる、ことを示しています。しかしそれは同時に、私達が受け入れられないような他…